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情報収集(9/10/1996)


 ジム・ハリックコーチが日本訪問中は、アパートの整理に明け暮れた。バスケットボール・オフィスへ最近顔を出していなかったので,やっと決まった電話番号と住所を伝えに出かけることにした。ちょうどDさんがいたので,名刺にこちらの住所と電話番号を書き込みそれを渡した。Dさんは,名刺を見てなにやら言っていたが,僕には聞き取ることができなかった。ただ,わかったことはUCLAのバスケットボールチームの選手は現在,コンディショニング中であるとのこと。ポーリー・パビリオンというバスケットボール専用の体育館の向こう側にあるウェイト・ルームでトレーニングをしているらしい。毎日2時30分から実施しているようだが,僕は子どものお迎えがあるので,明日の3時にここへくることを約束した。Dさんがトレーニングルームへ連れていってくれるということであった。


プレ・シーズンの計画(9/11/1996)


 Dさんはちょうど不在の模様。秘書の彼女にウェイト場を尋ね,そちらに向かうと,途中でDさんに会った。今日はウェイト場ではなくてフットボール場でランニングをしているとのこと。フットボール場へすぐに向かうとアシスタントのJコーチがちょうど出てきた。うしろには汗だくのでかい選手たちがいる。どうやらちょうど終わったところらしい。一緒に歩きながらいろいろと話を聞くことができた。

 月・水・金はランニング,火・木がリフティングらしい。とにかくNCAAのルールで10月15日までボールを使ったチーム練習をしてはいけないと決まっているので彼も不満げな様子。10月15日になったら締め上げてやる,というようなそぶりを見せているところをみると,まだまだ選手の仕上がりはできていないのだろう。僕は,もし今ボールを使った練習をしたらどうなるのか?と尋ねると「僕は首になるよ」といとも簡単に言ってのけた。そう,この国では生活がかかっているのだった。バスケットボール・オフィスに戻り,Dさんに僕が17年前に学生の時来た写真を見せながら説明した。彼はしどろもどろの僕の話に耳を傾けてくれ,少しずつ僕のことを理解してくれているようだ。よかった。明日,10月15日からの練習のスケジュールをもらうことを約束して分かれた。


謎の高校生(9/11/1996)


 Jさんにその様子を報告しようと思いインターナショナル・スチューデント&スカラーズへ向かった。ここのオフィスは,本当にいつも忙しそうだ。20分くらいいろんなスタッフと雑談をしていると,Jさんが部屋へ招いてくれる。突然,ジム・ハリックコーチがJさんを呼んだらしく,おまえも一緒に来いとのこと。Jさんにしては珍しく駆け足でバスケットボール・オフィスへ向かった。僕はさすがにジム・ハリックコーチの部屋には入らなかったが,開け放たれたドアの向こうには,明らかに高校生と思われる黒人の子供が,何と吉野屋の牛丼を食べていた。Jアシスタントコーチに尋ねると,「リクルート(注)」とのこと。高校生はおもむろに食べ残した弁当を持って部屋の外に出てゴミ箱へポイ。部屋にはジム・ハリックコーチがいたはずだが,もちろん挨拶をした様子もなし。その後,Dさんになれなれしく声をかけている時に,Jさんが彼に近づいてきて彼の肩を抱えながら,僕を彼に紹介してくれた。その紹介は,いつものように相手をうまく持ち上げるようにして,彼が高校生で優秀なガードであること,UCLAが彼を必要としていることを僕に伝えた。一緒にオフィスを出る時に3人ぐらいの女の子が(学生かスタッフか)高校生に話しかけている時も,みんなが彼を非常に大切に扱っている様子がひしひしと感じられた。こうして,みんなで上手に持ち上げながら少しずつ育てていくのだ,とこのとき感じた。

 インターナショナル・スチューデント&スカラーズへ向かいながらさきほどの高校生の年齢をJさんに尋ねるとたぶん16才だろうとのこと。つまり,来年度のためのリクルートである。午後4時を回った頃だから,たぶん誰かが学校が終わってからここへ連れてきて,食事させていたのだろう。僕からすれば涙ぐましいばかりの努力であるが,これがチャンピオンシップの現実なんだろうと思った。Jさんも心からUCLAは彼を必要としていると言っていたので,すべての人がリクルートの表も裏も知り尽くしている様子が伺えた。


注)この高校生に対するリクルートが、全米学生バスケットボール史上、最も電撃的な大事件の幕開けであったとは、このときいったい誰が予想できただろうか?