ウェイト・トレーニング(9/12/1996)
午後は,子どものお迎えの後すぐにUCLAのウェイト・トレーニングの様子を見学に行った。ポーリー・パビリオン(バスケットボール専用の体育館)の脇に,アスレティック・デパートメント専用のウェイト・トレーニング・ルームがある。ここには,一般の学生は入れないことになっていた。アシスタント・コーチのJコーチは,8人の選手の様子を眺めているだけ。2人のトレーニング・ルーム専用のトレーニング・スタッフ(みるからにウェイト・トレーニングのコーチだと分かる体格をしている)が,各選手のファイルを見ながら,一人一人の選手を励ましたり,注意したりしながら指示を与えていた。たった8人の選手に3人のスタッフの目が常に注がれているのである。選手たちも,さすがに気を抜けない様子で,うめき声をあげながらトレーニングに励んでいた。これだけ人的にも施設的にも恵まれた環境にあれば,強くなるのは当たり前である。3時40分に終了すると選手たちはかけ声をかけて解散。2時30分からトレーニングを開始しているので1時間10分でチーム練習は終了である。アシスタント・コーチは直ちにバスケットボール・オフィスへ向かい,選手たちはその後自主練習をする。
NCAAルールブック(9/12/1996)
昨日話に聞いたNCAAのルールブックを見せてくれるように頼んだところ,机の上の棚の中から電話帳の半分ぐらいの大きさの本を取り出した。彼はその本を放り投げるそぶりを見せた。表紙には「ディビジョンT」という文字が見えた。「そこには,バスケットボールのことだけが書かれているのか?」と尋ねると,「いろんなスポーツが一緒になっている」と答えながら再び棚の中に無造作に置いた。ようするにこのルールにがんじがらめにされていて見るのも嫌なのだ。
運命の分かれ目:第9学年(9/12/1996)
2週間ぶりに少し身体を動かそうと思いロッカーのあるメンズ・ジム へ向かった。受付には,M君がいて僕のことを覚えていてくれた。およそ40分くらい話をしただろうか。僕は17年前の写真を見せたり名刺を渡したりして何のためにここへ来たのかや,日本とここの違いなどを説明した。特に多くの子供たちがバスケットボールからだんだん離れてしまう様子などを話したら,彼はアメリカでも同じだと小学校から高校までのアメリカのシステムを紙に書きながら説明してくれた。どうやら彼もバスケットボールをずっとプレイしていたらしい。特に彼が力説していたのは,9学年(こちらでは,小学校1年から高校3年まで通して1〜12学年と呼ぶ)つまり,中学3年生の時が運命の分かれ目だということであった。こちらでは,小学校の時はリクレーション・バスケットボールで中学校からチーム・バスケットボールが始まる。そして中学3年生になるとJunior Varsityと Varsityに分かれるらしい。つまり,代表チームとその予備軍である。9&10学年はJunior Varsityで11&12学年が Varsityとも説明してくれているので,9学年から11学年あたりは,「トライ・アウト」と言われるセレクションを繰り返すのだろう。コーチがつくのは11&12学年で,コーチは中学生の可能性のある選手に声をかけるようだ。さらに彼は,9学年でVarsityに選ばれると「エゴ」が出てきて勉強しなくなってしまうと言っていた。特にバスケットボールは12名しか選ばれないので,選ばれた12名は学校中の生徒から羨望のまなざしで見られるらしい。しかし,たった1回のけがで選手としてつかいものにならなくなってしまうこともある。そんな時勉強していなかったらどうすることもできなってしまうじゃないか?と言っていた。さらに,子供たちばかりか親までも一緒にプロの選手を夢見て勉強させないことや,大学の選手やプロの選手が変な格好をするとみんなが真似してしまうことなどを嘆いていた。
彼は今20歳である。ロッカールームの管理人のアルバイトをしながら勉強をしている。大学を卒業したらハイスクールのバスケットボール・コーチになって,少しでも改善したいというようなことを言っていた。華やかな舞台の陰に常にいろいろな問題が渦巻いているのは,どこの世界でも同じなのだ。
初の本格的なピックアップゲーム(9/12/1996)
ロッカールームで着替え、コンタクトレンズをするのにてこずった後,上のフロアーへ行ったが,この時間は個人練習をしている人だけで,ピックアップゲームはやっていなかった。そこで,ウッデン・センターを覗いてみることにした。コリンズコートというバスケットボールコート3面のフロアーの一番入り口側でゲームが展開されていた。その奥のコートでは自主練習をしている面々がいる。中には女の子が父親か誰かに指導を受けているようであった。ちょうどゲームとゲームの切り替えの時で,僕はすぐにゲームに加わることができた。ゲームはフルコートで行われ13ゴールで終了となる。サイドやエンドからのスローインはなく,すべて3ポイントラインの外側中央に位置したオフェンス・プレイヤーにボールをトスしてからゲームが再開される。3ポイントシュートも1ゴールとして数えているようだ。ここで,プレイしているのはみんなUCLAの関係者なので,メンズ・ジム の午前中のようにとんでもなく上手な選手はいない。しかし,みんな自分のやるべきことを心得ていて,ゲームをやりながらそれぞれの役割が少しずつ固まっていく感じである。僕は,最初の3ゴールを連続して決めた後,2週間ぶりの運動ですぐにオールアウト状態になってしまった。自分で攻めればよいものを周りの人にパスを回そうとして,結局4本ぐらい敵にインターセプトされてしまった。出だしはこちらのチームがリードしていたが,9ゴールから得点がストップしてしまい,こちらのミスから相手に速攻ばかりだされてそのまま逆転負けしてしまった。
ゲームが終了すると,直ちに次に控えているチームが勝者に挑戦する。負けたチームの面々は,その次のゲームのリーダーに自分を入れてくれとすぐに頼んでいた。僕は,完全にバテていて放心状態。次のゲームをボーっと眺め身体の回復を待ったが,全然回復しないので今日のところは1ゲームだけで退散することにした。