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コンディショニングコーチ(9/16/1996)


 子どもの学校のお迎え(注)に行った後,UCLAバスケットボールのランニング・プログラムを見に行った。2時半から始まっているので僕が着く3時過ぎには終わりかけているが,選手たちは汗だくになって,フットボール場の芝の上を110mぐらいダッシュしている。ここでも先日見たウェイト・トレーニングの時のスタッフがコーチしていた。彼らは,コンディショニング・コーチと呼ばれていて,いろいろな種目のコンディショニング・プログラムを担当しているようだ。完全にそれぞれの分野が細分化して専門化している。日本のようにコーチと言ったら全てを担当するのとは大違いである。


NBAを目指して(1)(9/16/1996)


 その後すぐにJコーチと一緒に先週の金曜日に見せてもらった個人練習を今日も見せてもらうことにした。Jコーチに彼の名を尋ねたところ,「リチャード・パトルスカさん」という3年前にUCLAでプレイし,現在NBAを目指して練習している人らしい。今日は彼らの練習のリバウンドに徹した。まるで大学1年の時のようだが,ボールを落とさないように心がけ,ちゃんとボールの目を合わせて返球した。おそらくコーチ・サイアも彼もそのことには気づいたと思う。別にほめられたくてやっている訳ではないが,やはりリズムよく集中して練習するには,このリバウンドは欠かせない。大学1年の時は,何もそんなことは分からなかったし,嫌で嫌でしょうがなかったが,今思えば本当に大切なことを教えてもらったと思う。


午後の日課(9/17/1996)


 午後3時からはいつものようにUCLAバスケットボールチームのウェイト・トレーニングを見学した。Jコーチに尋ねると今日のリチャード・パトルスカさんの個人練習は6時からだと言う。バスケットボールオフェイスへ顔を出した後,時間があったのでウッデン・センターでピックアップゲームをやることにした。はじめは1試合で止めるつもりでいたが,何しろ勝ち続けてしまい,気がつくと3試合終了した時には6時40分を回っていた。あわててメンズ・ジムへ出かけたが,すでにリチャード・パトルスカさんの練習は終盤にさしかかっていた。最後の10分ほどリバウンドをしたが,申し訳ないことをした。


NBAを目指して(2)(9/18/1996)


 夕方、一度家に帰ってからすぐに,メンズ・ジムへリチャード・パトルスカさんの個人練習を見に行った。またもや少し遅れてしまったが,彼は相変わらず一生懸命に練習していた。これくらい集中できれば,個人練習の場合,1時間が限度だろう。


NBAを目指して(3)(9/19/1996)


 午後3時からUCLAバスケットボールチームのウェイト・トレーニングを見学し,その後,ウッデン・センターでピックアップゲームをした。このところ連日リチャード・パトルスカさんの練習に遅れていたので今日こそは遅れまいと午後6時にメンズ・ジムへ向かい,彼のジャンプ・フックシュートの練習をリバウンドをして手伝った。いつのまにかこちらも彼らの真剣さに完全に巻き込まれている。本当に真剣勝負である。


注)ロスでは、16歳まで子どもの送り迎えが親の義務となっている。日本のように集団登校などはなく(私立のスクールバスは時折見かけた)、それぞれの子どもをその親が責任をもって送り迎えしなければいけないのである。もし、親の都合が悪い場合は、お金を払って家政婦さんに送り迎えを頼まなくてはならない。私は車の免許を取得済みであったが、妻が未だだったので、この時期は子どもたちの送り迎えや買い物の時など全て私が運転しなければならず、なかなかう思うようにスケジュールの調整が計れなかった。