10月分に戻る 表紙に戻る

 

ふれあい(10/2/1996)


 今日は,3時からウッデン・センターで昨日と同様Sコーチのフットワークの予定であったが、遅れてしまい3時20分に着いた時には,すでに始まっていた。今日は,昨日と同様であるが,少しずつ距離が遠くなっていたり,時間が長くなっていたように思う。3時40分には終了してしまったが,ちょうどDさんがやってきたので,昨日ジム・ハリックコーチにドリルのファイルを見せてもらえと言われたことを告げた。すると,さっそくバスケットボール・オフィスの一角を案内してくれた。3段のファイリングキャビネットの真ん中の段を空けるとそこには,ぎっちりと資料がならんでいた。項目ごとにきれいにファイリングされている。Dさんが何か言っていたがよく意味が分からなかったので,その場で見せてもらうことにした。それぞれのファイルには同じ資料が10〜20部ぐらいコピーがとられていて全部で63種類,1ページのものから数10ページのものがある。Dさんにコピーを1部もらっても良いか尋ねたら,良いとのこと。ただし,「もし,資料をとって1部しか残らないようなら必ず自分で10部ぐらいコピーして入れて置いてくれ」とのこと。次の人のための配慮である。こういうことが自然のルールとして習慣づいているところは,本当に合理的である。1部づつピックアップしたらかなりの量になってしまった。

 今日の練習を見ていてディフェンスのスタンスが少し気になったので、オフィスの一角で自分なりにスタンスの確認をしていたら,その様子をSコーチが見て「グッド!」と声をかけてくれた。そこで,サイドに追い込んだ時,足はサイドラインと平行なのかどうかを確認したところ,その通りであるとのこと。足が斜めで良いのはコーナーに追い込んだ時だけだという答えも返ってきた。さらに,彼は「ビデオをもっているか?」と僕に尋ねる。僕は「持っている」と答えると,何と彼は自分が作ったビデオテープと資料を僕に渡してくれた。金曜日までに返してくれればよいとのことであった。本当にありがたい限りである。

 さらに,Jコーチもちょうど手があいたところだったので,彼にはリチャード・パトルスカさんはNBAにトライしているのかを尋ねてみた。リチャード・パトルスカさんは今ワシントン・ブレッツのチームでメンバーに残れるかどうか試されているとのこと。僕は,本当に彼にNBAに復帰してもらいたいので,その旨を伝えるとJコーチも同意してくれた。ちょうどリチャード・パトルスカさんのジャンプ・フックシュートのドリルをノートにまとめていたところだったので,思い切っていくつか分からなかったことを尋ねてみた。彼も快く教えてくれた。

 ちょうどもう一人のアシスタントのMコーチもいた。彼には自己紹介をしていなかったので名刺を渡すと,「何か俺にできることはあるか?」と尋ねられた。最初は何のことだかわからなかったが,「とにかくよろしく」というつもりで何度も頭を下げて挨拶をした。よく考えてみると「よろしく」というニュアンスを英語で伝えるのは,非常にむずかしい。いったい何がよろしくなんだか,はっきり言わなければ通用しない文化なのである。逆に日本語の「よろしく」というのは非常に曖昧なことばなんだと気づいた。毎日バスケットボール・オフェスに通っていた甲斐があって,だいぶ人間関係も進展してきたように思う。

 少し自分でも体を動かそうと思い,ロッカールームで着替えてウッデン・センターへ向かう途中,M君に会った。彼とはいつもロッカールームの受付でしか会わないが,今日は外で彼が僕を見つけて声をかけてくれたのだった。ちょっとした会話だったが,H君の時と同様,声をかけてもらうと本当にありがたい。これが,こちらの挨拶の原点なんだと実感した。日本でもそういう習慣があったはずだが,いつのまにか形式ばかりが先走ってしまい,原点を見失った結果,殺伐としたキャンパスになってしまったのではないだろうか?やはり,日本の教育の改めるべきところだろう。

 ウッデン・センターに入ると,何と先ほどのコートでUCLAバスケットボールチームのメンバーがピックアップゲームをしていた。僕は,それをじっくりと見学した。だいぶ一人ひとりの性格やプレイの特徴をつかむことができてきたので,今度は名前を覚えることにしよう。

 自分もプレイしようと思ったが,今日はコリンズコートが17時45分で終了との放送。結局ゲームはせずに,昨日,今日と見学したディフェンスのコンディショニング・ドリルの動きの確認をしてアパートへ帰った。早い時間だったので30分ほどアパートの地下にあるトレーニングルームでウェイト・トレーニングをして帰宅した。