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モニター修理での出会い(10/11/1996金)


日本から持ってきたパソコンのモニターが映らなくなってしまった。こちらのメーカーに問い合わせ、日本人技術者のMさんとコンタクトをとり、本日午前中にモニターをはじめパソコン一式を運び込むこととなった。Mさんといろいろな話しをしている中で、僕がUCLAでバスケットプログラムの調査に来ている旨を告げると,M電機がジム・ハリックコーチを毎年日本に招いて講習会を開くなどUCLAバスケットと関わりがあるという話しが出た。確かにM電機は数年前UCLA出身のWという選手を獲得して以来,ジム・ハリックコーチとコンタクトしており,僕がこちらへ来てからも,ジム・ハリックコーチはM電機の招きで日本へ向かっていたのである。しかし,僕にはそのM電機と僕のモニターの修理を依頼しに来たM電機を直接結びつけることが、今の今までできなかった。

 東洋系技術者のところへモニターを運び,とりあえずモニターのテストをした。高圧が立ち上がっていないとのことでやはりモニターに原因があるようだ。技術者の方が分解してチェックし始めた時にMさんはどこかへ出かけた。しばらくするとMさんが帰ってきて会わせたい人がいるとのこと。1つ上の階へ行くと,そこにはM電機のバスケットボール部とジム・ハリックコーチをはじめアメリカ国内との橋渡しをしているというNさんという副社長さんがいた。Nさんご自身は高校時代に少しバスケットの経験があるだけで本格的にバスケットをやっていた訳ではないらしいが,日本に居たときに周囲にバスケット部の方がたくさんいて日頃からバスケット部の応援をしていたらしい。日本とアメリカの状況の違いや毎年チームのメンバーを招いていることなど苦労話も含めていろいろなお話を聞くことができた。ジム・ハリックコーチが新聞に叩かれているということは,まだ知らないようであった。まさか,モニターの修理に来てバスケットの話しが出るとは思いもしなかったが,本当に人と人とのつながりのありがたさをしみじみと感じた。

 学校へ子供たちをピックアップに行き,その後ポーリー・パビリオンでのフットワークをビデオに納めさせてもらうことにした。さらに,練習終了後,ウッデン・センターで選手たちがピックアップゲームをしていたのでそれもビデオに納めた。