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歴史的大事件の舞台裏(11/6/1996水)


 昨夜はなかなか寝付けず,睡眠不足である。アダルトスクールを休ませてもらって,とにかくバスケットボール・オフィスへ行くことにした。途中,ロサンゼルスタイムスを購入し,さっと目を通した。今日の午後2時にジム・ハリックコーチは辞任するだろうという内容であった。バスケットボール・オフィスへ着くとDさんが髭をはやして忙しそうにしていた。きっと徹夜だったのだろう。「知っているか?」と言うので「昨夜ニュースを見た」と答えた。秘書も来ていて,軽く挨拶をしそのまま奥へ入っていくと,KD選手がMコーチと落ち込んだ様子で話をしていた。Mコーチは何やら朝食をとりながら,「日本でもこういうことはあるか?」と僕に尋ねるので,僕は「時々あるが,これは非常にショッキングだ」と答えた。すると彼は,「これが,アメリカのスポーツなのさ」と言う。そう,まさにアメリカのスポーツ事情を浮き彫りにした話である。

 オフィスには,何人かの選手がいた。TB選手はボーっと歴代のチーム写真に見入っていた。僕は彼の肩に手をかけた。奥の部屋には,JH選手が机に伏せている。MH選手とDP選手がぼっとテレビを見ていた。ドアの陰でHS選手がソファーに寝ころんでいる。テレビの音だけがむなしく響いていた。僕は,わけもなく気が抜けてしまって,ただ,オフィスの様子をじっと見ていた。こういう時でもオフィスのスタッフは,黙々と働いている。ちょっとドライすぎるぐらいな感じがした。Mコーチはアスレティック・ディレクターと話をしに行くのだろう。2階へ行った。入れ替わりにSコーチが来た。彼は,なんと背広を着て髪もピシッと決めている。そして,選手がいる部屋の前に近づき僕に「だいじょうぶだ」と言い,KD選手を連れてヘッドコーチの部屋へすっと入っていった。しばらくボーっとしているとJさんが来た。彼は僕に近づき握手をしながら,「ハリックはどこだい?」と尋ねた。「僕は,知らない。今,Sコーチがそこの部屋にいる。」と答えた。すると彼はどこかへ行って,しばらくするとすぐに戻ってきた。また,近づいてきて握手をした。僕はやはり彼が一番僕のことをわかってくれているような気がして,何となく安心したと同時に事態の急変に戸惑っている自分が表情に出てきた。彼は状況を察したらしく,秘書と話をした後で僕に「おまえはここにいられる。大丈夫だ。安心しろ。」と言ってくれた。僕は,「僕のことはいいんだ。それより今のこの状況の方が心配だ。」と言った。UCLAバスケットボールとは,たったの2ヶ月ぐらいしか関わっていないが,その関わり方に非常に苦労してきたので,その分自分のチームのことのように感じている自分がいたのである。彼は,「後でまた話をしよう。」と言って帰っていった。

 その後もボーと様子を見ていたが,スタッフの間ではSコーチがヘッドコーチになったことを喜んでいる節も見受けられた。僕は状況がますます理解できなくなってきた。秘書が僕の様子を見かねて,僕に近づき「あなたは,ここにいられます。もし,Sコーチと話がしたければ,明日にしてください。」と行って来た。僕は,「Sコーチがヘッドコーチなのか?」と尋ねると「そうだ」という。彼女もそのことをむしろ喜んでいるかのようであった。僕は,ようするにここにいると迷惑なんだなと思い,退散することにした。

 僕は特に当てもないので,Jさんのところへ向かった。久しぶりのインターナショナル・ステューデント&スカラーズのオフィスである。Tさんが正面の受付で僕を出迎えてくれた。彼は,「君が次のヘッドコーチかい?」と冗談を言っていた。僕は,笑いながら,「そうか,一般の人はこの事態をあきれて見ているんだ」と思った。あいにくJさんはいないようなので帰ろうかと思ったが,ちょうどコーヒーをもって,友人と2人で帰ってきた。Jさんは僕を自分の部屋へ招いてくれた。ちょうど電話がかかってきたのでJさんはずっと話をしていた。僕はJさんの友人といろいろ話をした。「ディレクターが決めたことだが,彼一人の判断だろうか?それとも誰かがアドバイスしたのだろうか?」「わからない」とのことであった。Jさんは電話をしながら僕らにメモを見せてくれた。そこには,「MAGIC」と書かれてある。電話が終わっていろいろと話をした。「ジム・ハリックコーチは,手のひらの上に選手を乗せ,ある程度自由にさせていた。たとえば,選手がボールをけっ飛ばしたりしても,何も言わないこともあった。もし,僕ならたぶん怒っている。(ただ,最近の選手はどうしても精神的に若い部分があるので)そういう風にしてうまくコントロールしてきただけに,今回Sコーチが後任になっても,選手がうまく言うことを聞くかどうかわからない。」「それでも僕はUCLAのバスケットボールが好きだし,勝ってもらいたいと思っている。」という旨を伝えた。すると彼は「Sコーチは言い奴だが,やはり若い。特にリクルートの面で協力なサポーターが必要だ。また,現在の状況を乗り越えるためにも,強力な人物を連れてくる必要がある。その人間はみんなが尊敬するような大物でなければいけない。たとえば,マジック・ジョンソンもその一人だ。おそらく彼にも連絡がいくだろう。」と言った。そう,Jさんたちはジョン・ウッデンさんの時からずっとここにいるのである。今までに何度もコーチが交代してきたところを見てきたのだ。そして,その都度サポートしてきたのである。彼こそUCLAバスケットボールを陰で支えている人物なのかもしれない。

しばらくいろいろと話をした後,午後2時からモーガンセンターで記者会見があるので,その時会うことにして分かれた。僕は昼食を済ませた後,何度かバスケットボール・オフィスの様子を伺ったり,ポーリー・パビリオンで学内新聞をじっくり読んだりして過ごした。午後1時15分ごろにモーガンセンターへ行くとすでに記者会見が始まっていた。すごい数のカメラとマイクをさらに大勢の人が取り囲み,部屋から外に人が溢れていたが,みんな静かに記者会見の話に耳をそばだてていた。僕は,どうせ聞いてもわからないと思い,アスレティック・ディレクターのダリスさんの顔よりもSコーチと4年生3人(CO選手,CD選手,BM選手)の表情をずっと見ていた。また,時々バスケットボールオフェスを覗くと,なんとJコーチはこんな時でも電話で誰かと話をしていた。彼は本当に電話ばかりしている。

 しばらくすると記者会見場の奥から何人か人が出てきたので,入れ違いに奥へ入っていった。そこではすでにSコーチの記者会見が始まっており,その様子をDさんと秘書が並んで見守っている。僕のすぐ隣には学生コーチのC君と3年生のマネージャーのT君がいて,奥の方にも4年生のヘッド・マネージャーのA君がいた。

 Sコーチはさすがに少しあがっていた。顔が紅潮しているのがわかる。こんな舞台で記者団に質問責めにされるのである。あがらない方がむしろおかしいぐらいだろう。ただ,時々記者団から笑いが漏れるような返答があったが,僕には笑えなかった。隣のC君も笑わなかった。Sコーチの記者会見が終わると4年生のプレイヤーへの質問は外で行われた。テレビカメラが一斉に外へ出ていくのと同時にみんなが移動していった。部屋には,アスレティック・ディレクターのダリスさんとSコーチと2人に質問責めの記者たちとC君と僕が残った。僕はC君に「とても残念だ。ジム・ハリックコーチに会ったか?」と言うと「会っていない。今夜あう予定だ。」との返事。「僕は彼が好きだ。僕がよろしくと言っていることを伝えてくれ。」と彼に頼んだ。

 その後,4年生3人のインタビューの様子を見ていたが,4年生はしゃべっていいことと悪いことを心得ているようであった。いろいろ打ち合わせしたのではないだろうか?

 ちょうどその時Jさんがいるのが見えたので彼に近づくと,彼は今来たところのようで,記者会見が早まったことを残念がっていた。彼は「また話をしよう」と言って仕事に戻っていった。僕は,バスケットボール・オフィスの様子をちょっと覗いてみたが,BL選手や4年生たちは割とすっきりした顔をしていた。

 すぐに帰ってもいいのだが,何となくこういう時は体育館に足が向く。女子がまだ練習をしていたが,それをぼーっと見ているとテレビ局のカメラマンとアナウンサーが95年のNCAAの優勝のペナントをバックに何回も何回も今日の出来事を伝えるニュース用のビデオを取り直していた。

 女子はいつもより長く練習をしていたが,練習が終わるとすぐにロッカーへ入っていった。しばらくぼっとしているとBM選手が友人とやってきた。どうやらシューティングをするらしい。彼は僕に「どういうことかわかっているのか?」と聞くので僕は「ああ」と答えた。すると彼は「ジム・ハリックコーチが悪い。しょうがない。」と言った。その時,そうか彼らはいろいろな事情を大学側からすでに聞いているのだ,と思った。BM選手がシューティングを始めたので僕はしばらくリバウンドをした。その後友人とBM選手が1対1をしている様子を眺めていた。すると,今度はCD選手とKJ選手がシューティングに来た。僕は足を痛めているKJ選手がCD選手と一緒にシューティングに来たことがうれしくて,思わず彼らのところへ近づいてシューティングの様子をじっと見守っていた。すると今度はMコーチが友人と一緒にシューティングに来た。こういう時に思わず体育館に集まってくる連中は,本当にバスケットの虫たちである。僕はなんとなく明るい材料を見つけたような気がして,だいぶ気持ちが晴れてきた。CD選手とKJ選手は約1時間自分たちでいろいろとノルマを決めてシューティングをしている。こういう時は本当に集中している。こういう集中力がやはり彼らのすごいところだろう。

 MコーチはCD選手をさそって3人でしばらく1対1をしていた。彼はこうして少しずつ選手と近づいていくのである。

 みんなが退散したので,僕も退散することにした。帰りに新聞をみるが,とくに新しいものはみつからなかった。帰宅後,ひたすらニュースをビデオに取りまくった。なんとジム・ハリックコーチもどこかで記者会見をしていた。どうしてもジム・ハリックコーチの言っていることを理解したくて,管理人さんの自宅に電話を入れ助けてもらおうと思ったがあいにく不在であった。これでは埒があかないと思いインターネットで情報を求めると今日僕が見ていた記者会見の内容とジム・ハリックコーチの記者会見の様子などが書いてあった。

 ことの経緯はおおよそ次のようである。まず,10月15日の夜にチームのメンバー数名と来年の新人たちにジム・ハリックコーチが有名なレストランで夕食をごちそうしたらしい。その時の支払いが1000ドル以上でその請求書が,アスレティック・デパートメントにまわってきた。ずいぶん額が大きいので誰が出席していたのかを調べたが,どうもNCAAのルールに違反しているのではないかという疑いがかかった。そこで,アスレティック・デバートメントのディレクターのダリスさん(一番偉い人)がジム・ハリックコーチに膨大な報告書を提出させたらしい。しかし,その内容に事実と違う記載があった。NCAAのルールではリクルートしようとしている新人1人に対して現役の選手は1人しか同席させられないらしい。しかし,その夜は3人以上のチームのメンバーが同席していたらしいが,それを違う人が出席していたように報告したのである。そのことが,内部調査で発覚した。ダリスさんの言葉では,「ウォーター・ゲート事件と同様,嘘をつくことはいけないことだ。だから解任した。」というものである。昨日練習後,ジム・ハリックコーチに辞任を求めたが,ジム・ハリックコーチはその意志を明らかにしなかったので,今日解任したというものである。辞任なら契約の任期の残りの給料を支払うが,解雇の場合は一切支払わないらしい。

 当然,ジム・ハリックコーチは納得しておらず,弁護士をたてて記者会見をした。自分には解雇される理由がない。確かに嘘の報告書を作成したが,チームのメンバーに迷惑がかかるといけないと思ってしたことで,そのことに関する処分ならもっと別の方法があるだろう。「辞任か解雇」というのはあまりにも重すぎる。ということである。

 とにかくアメリカの大学バスケットボール史に残る歴史的な解任劇である。アシスタントコーチのSコーチは,当面の間,臨時のヘッドコーチとして働くということもわかった。

 アパートの管理人さんから電話がかかり,今外にいるとのこと。ニュースの意味がよくわからないので助けて欲しい旨を告げると,自宅にもどってから電話をくれるとのことであった。

 テレビのニュースは,だんだんいろいろとコメントが加わるようになってきた。そのうちの1コマになんと夕方CD選手とKJ選手のシューティングをゴール下から眺めている僕の姿までバックで放映された。誰もそれが日本人だとは思わないだろうし,気づきもしないだろうが,歴史的なニュースの一コマに映ったことには違いない。

 妻と二人でいろいろと話をするのだが,どうも腑に落ちないことが多すぎる。ジム・ハリックコーチのやり方は確かにダーティーで伝統あるUCLAの道からはずれていたのかもしれない。しかし,今の学生相手では仕方がない部分もある。逆に今の学生相手だからこそジム・ハリックコーチのやり方でないとうまくいかない面もあったように思う。もしかすると実際は,ジム・ハリックコーチに対して反発を感じていた人たちがいて,辞めさせるチャンスをうかがっていたのかもしれない。ジム・ハリックコーチの記者会見では「少なくとも2人が画策したのではないかと思う」と述べられていた。そのあたりが,どうも政治的なにおいを感じさせる。だいたいヘッドコーチがやっていることにアシスタントコーチが関わっていないはずがないように思うし,そのアシスタントコーチがいきなりヘッドコーチとして記者会見してしまうのも妙だ。疑い始めるときりがないのだが,そういえばSコーチが考案したディフェンスの練習がいつも2分しか行われないことにSコーチはおもしろくなさそうだったし,だいたい昨日練習後にJコーチがはしゃいで選手にダンクを見せていたのも変と言えば変だ。秘書が「ジム・ハリックコーチも大丈夫。チームも大丈夫。何も心配することはない。」と僕を追い払うように言い放ったのも変だ。いろいろと考えていくといったい誰を信じていいのかわからなくなり,思い切ってJさんに話してみることにした。最初にJさんに電話をかけた時は,先方も話中だったらしく15分後にかけてくれとのこと。15分後に僕はこの事件は不可解だ。いったい誰を信じていいのだろうか?と尋ねた。すると彼は誰をしんじられるのか?と逆に尋ねてきた。さすがはカウンセラーだ。僕はMコーチはアウトサイダーだと思う。Dさんも信じられるような気がする。後はわからない。」と答えた。彼は,僕もわからないという。そこで僕はインターネットの記事にある「内部調査の時にディレクターに告げた別の人というのは誰のことか?」と尋ねるとJさんは「Nobody and Anybody」と言い,「僕にもわからない」と言っていた。結局,彼の意見を聞くことはできなかったが,このときJさんはすべて知っていると感じた。

 その後も情報を集めようとインターネットにアクセスしたりテレビのニュースに見入ったりしていたが,さすがに眠たくなってきたのでねることにした。