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投げやりな日々(12/12〜15/1996木)


 この頃を思い出してみると、何となく自分の立場が中途半端な気がして、半ば投げやりになっていたようです。12日〜15日の間の記録は、ほとんどまともに記録されていませんでした。唯一、13日に友人に当てた手紙に、投げやりながらも、何か次の仕事を見つけようと模索していた様子が伺えます。ただし、この時の計画は、結局今だに実現していません。(12/14/2000)


(12/12/1996)


 霧雨。朝6時から練習。7時40分終了。その後,リフティングがあったが,帰宅した。


(12/13/1996金)


 今日は朝7時から練習。その後,ポーリー・パビリオンを走って帰宅。

 夕方,オハイオ大の練習を見学した。


NBAの選手になるためには(12/13)


 うちのかみさんが突然,「Yちゃんと一緒に本をだせば?」と申します。ちょっと考えました。どうせなら前向きの本が良い。そうだ,日本の子供たちが実際にNBAの選手になるためにはどうしたらよいか?という本が必要なのではないか?と考えました。

 その理由は2つあります。1つは,子供たちの夢を夢に終わらせないようにするためです。僕は,中学の時からいつか月刊バスケットボールの表紙になるぞと思っていました。やはりそういう夢があって現在の自分があると思っています。実際には,T大に進み名前こそ出たことはありますが,表紙はおろか写真も載ったことがありません。それでも好きなバスケットボールに関わっていられるわけですから,良い方でしょう。2つめは,子供たちがいつまでも夢を追い続けて人生を棒に振ってしまわないようにするためです。ここアメリカに来てたくさんの留学生崩れに会いました。みんな夢を追いかけてアメリカへ来たけれども,実際には日本で就職することもできず,結局こちらでアルバイト人生を送っているという感じです。

 以前,N大学のコーチのNさんと話をしたことがあります。今,日本は衛星放送や「スラムダンク」の影響で追い風だと言われています。しかし,バスケットボール関係者は,従来の派閥にとらわれ,足の引っ張り合いばかりで何もできていないというのが実状です。まだ,野茂が大リーグで活躍する前でしたが,僕はNBAの選手を育ててしまえば,日本のバスケットボール界も変わるだろう,と話しました。どちらかというと,日本人の中からNBAの選手が育つようなシステムや環境を目指すべきだというニュアンスですが,こちらに来てからまんざら夢でもないと思えるようになりました。

 もちろん,ここアメリカでもNBAの選手を目指して本当にたくさんの子供たちがつぶれていくのは知っています。ただ,日本の大学生も今はなかなか就職口がなくたいへんな状況になってきています。特に日本の大学男子の有力校のバスケットボール選手は,大学に入るためにバスケットをやってきたので,入ってしまってからは夢もなくただ惰性でやっている感じです。僕の母校もそうですし,今年度優勝のN大学ですらそうです。教員になれないので,定職にもつかず,ふらふらしている卒業生が後を絶ちません。つまり,現在の日本でも数多くの選手が高校の先生や大学のコーチたちの夢を追いかけさせられて捨てられているのです。それならいっそうNBAの選手を目指して頑張って,そして節目節目で適切な方向変換ができるようなガイドブックが必要なのではないでしょうか?その方が,現在の中途半端な日本のバスケットボール選手人生より遥かに有意義に思います。もちろん,その中で本当に才能と運に恵まれた数人がNBA入りを果たせるかもしれません。それに越したことはありませんが,むしろ,ほんとうにNBAの選手を育てるためにはどうしたらよいのか?ということをみんなに考えてもらえるような本ができたらよいと思うのです。

 NBAのしくみやアメリカの現状,世界の情勢と日本が置かれている立場などYちゃんにお願いしたいと思います。僕は,日本の現状とその問題点,どうしても押さえておかなければならないピックアップゲームのことやプレイ感覚の違いなどを担当します。そして,NBAの選手になるための具体的ないくつかのステップを2人で検討してみませんか?


(12/14/1996土)


 夜,オハイヨ大学との試合を駿と歩いて見に行った。


(12/15/1996)


記録なし。