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高校生のゲーム(1/20/1997月)


ロッカールームの様子

 今日はマーチン・ルーサー・キングさんの記念日で休日である。朝8時からウッデン・センターで練習だというので7時30分にUCLAへ出かけたが,またふられた。ウッデン・センターの職員も8時からだということを聞いていてすでに来ていたが,彼の話だと誰も来ないという。そこで,バスケットチームのロッカールームへ行ってみると何人か選手が来ていた。何と練習は9時からだと言う。こうしていつも時間を勝手に変更してしまうので周囲の人間は本当に振り回されている。Sコーチはこのことを把握しているのだろうか?

 しかたがないのでロッカールームでバスケットのテレビを見ていたが,各自のロッカーの前に「Bruin Attitude」というのが貼ってあった。最初の項目は,「授業に出ること!」である。やはり大学である。日本もアメリカも事情は同じなのだろう。それにしてもこのロッカー・ルームは本当にすばらしい空間である。一間以上もある大きなクローゼットが一人一人に用意されていて,もちろん鍵もかけられる。コーナーにはテレビとステレオのセットが埋め込まれ,大きなシャワールームとトイレが付いている。黒板にはSコーチが書いた一つ一つ階段を上っていくとそこにはNCAAトーナメントのファイナルで優勝と書いてあった。まだ階段の真ん中あたりである。

 選手たちが次々と現れ,隣のトレーナーズ・ルーム(製氷器とテーピング台,マッサージ台などがある部屋)でトレーナーのSさんにテーピングをしてもらっている。

 9時10分ぐらい前にコーチ陣がロッカールームへやってきた。僕は外へ出ようと思ったがアシスタントコーチのJコーチがいてもいいよという合図をしたので,留まって様子をみることにした。いつもは遠慮しているのである。これからテーピングに出かけようとしている選手に対して行かなくてもいいと言っているので,どうやら今日はテーピングは必要ないらしい。また,軽い練習になってしまうのかと思っていたらロッカーの片づけがはじまった。今日は高校生のトーナメントがポーリー・パビリオンであるのでこの部屋も使わせるのだろう。各自の荷物をとられないように鍵のかかるロッカーへしまっていた。

 そして,これから練習ではなく何とバスケットボール・オフィスでビデオを見るという。明日日本からOさんが来るので練習を見ても良いかを尋ねるためについていき,ポーリー・パビリオンの階段を上がりながらその話しをしたら,そのことは快くOKしてくれた。僕はビデオを見るのについていくつもりはなかったが,Sコーチは僕に「これからチームでビデオを見る。練習は10時頃からウッデン・センターだ。また会おう。」と言って僕が一緒についていくのをうまく断った。やはり,彼は彼なりにずいぶん僕のことを気にしているようである。一線を越えないように気をつけないといけない。

 

高校女子の試合

 ちょうど9時30分から高校の女子の試合が始まったので,それを見ていた。レベルはそんなに高いとは思わなかったが,日本と決定的に違うのはみんな男子と同じプレイスタイルを目指していることであった。ワンハンド・シュートはあたりまえ。とにかく日本のように3ポイントシュートばかりを狙うのではなく,インサイドへごりごりと入っていくのである。また,もう一つおもしろいと思ったのは,女子のコーチは女性だとばかり思い込んでいたらそんなことはないのである。そう言えばこのまえUCLAに試合に来ていたどこかの大学の女子のチームのコーチも男性であった。ただ,必ずサポート役に女性スタッフがついている。おそらくアシスタントコーチなのだと思うがどういう立場なのかはわからなかった。高校のコーチまで全部女性でまかなえるほど女性のコーチは多くないのかもしれない。また,審判も女性ばかりではなく女性と男性の2人でやっていた。ここでも女性だけでまかなえるほどの人数はいないのだと思うが,必ず1人は女性審判であることを考えると日本よりははるかに女性のバスケットボール関係者は多いといえる。

 どちらのチームもミスが多くこれなら日本のインターハイクラスのチームでも互角に戦えるのではないかと思った。まあ,9時30分からの試合でチラシにも載っていなかった試合なのでおそらくレベルはそんなに高くないのだろう。

 

メンズ・ジムでの練習

 10時にウッデン・センターへ行くと女子のUCLAのチームの練習が始まろうとしていた。おかしいと思い玄関のところへ出るとちょうどモーガンセンターから選手たちが出てきた。みんなウッデン・センターへ入って行くが,結局ウッデン・センターは使えず,メンズ・ジムへ向かった。メンズ・ジムの3面あるコートのうちの真ん中のリングははずされていた。誰かが壊したのか,それとも何か理由があるのだろうか?レギュラー陣はシューティングであったが,それ以外のメンバーは3対3,途中からオールコートの4対4が始まった。しかし,スタッフは誰も見ない。選手たちが勝手にプレイしていたが,やり始めると熱くなる選手たちばかりで,だんだんエキサイティングなゲームになっていった。それでも少し,レギュラーたちのシューティングの様子が気になるのだろう。いつもそちらの方を何となく眺めていた。

 

高校男子の試合

 1時間ほどで練習が終わり,降り始めた雨の中をゆっくりと自転車に乗って帰宅した。昼食を食べた後で,ポーリー・パビリオンで行われている高校生の試合を家族みんなで見に行くことにした。ちょうど女子の試合がやっていたが朝よりは背もレベルも高かった。子供たちが落ち着かないので手の甲に判子を押してもらい新しくなったUCLAショップへ出かけた。1月に新装オープンしたばかりで,僕は何度か行っていたが家族ははじめてである。そこで1時間ほど買い物をした後,2階のピザ屋さんで大きなピザを頼んで家族みんなでたらふく食べた。そして再び高校生の試合を見に行った。今度は男子の試合で,そんなにレベルが高そうには見えなかったが,とにかくボールを持ったらほとんど一人で攻めていく。あまり,チームとして鍛えられているという感じはしなかった。何となく見ているとどこかで見覚えのある選手がプレイしている。そう,例のジム・ハリックコーチ名義の車を彼のお姉さんに安く売ったのがNCAAのルール違反ではないかと新聞に叩かれ,ジム・ハリックコーチ解任の布石を作った人物である。確かサンタモニカ高校に所属していたはずだが,違う高校でプレイしていた。もしかしたら新聞に叩かれてから転校したのかもしれない。オールアメリカンに選ばれたことがあるだけあって,ちょっと他の選手たちとは感覚がちがっていたが,周りの選手たちとうまくかみ合わず,ミスが目立った。

 子供たちが黙って見ていられなくなったのでとりあえず再び帰宅し,夜の7時半に僕一人でポーリー・パビリオンへ出かけた。ちょうどメイン・イベントの試合が開始される時であった。さすがにメインだけあってほとんど大学生と同じぐらいの体格同士の選手たちが激しくぶつかり合っていた。大学生よりミスが目立つもののかなりのレベルである。日本の学生チャンピオンでも勝てないのではないかと思う。ただ,組織的な攻撃や防御はほとんどなくひたすら1対1を基本にしたゲーム展開であった。おもしろいのは10点以上離されてもタイムアウトをとる気配もなく,疑問に思っている間にちゃんと選手たちが追いついてくれるのである。こういう高校生のゲームを見ていると高校も大学の縮図で,タレントのある選手たちをひたすら集めて戦っているのだろう。

 こちらに来る前は,高校生や中学生のバスケットボールチームの練習などを見たいと思っていたが,どうやら予想がはずれたようだ。結局,第9学年すなわち中学2年生から3年生ぐらいになるところでこれから選手としてやれるかどうかが決まってしまうので,それ以前の段階ではお父さんが自分の子供に指導するのである。つまり,こちらの学校やチームではタレントのない選手を育てることはほとんどしないのだろう。6才ぐらいから11才ぐらいまではまさにリクレーショナル・バスケットボールに徹する。そこでももちろんお父さんやお母さんがボランティアで子供たちの指導に当たるのである。そして,もし本人や家族がバスケットボール選手で飯を食うことを希望すれば,そこから徹底した指導が始まる。競争社会なのでそれは各家庭の仕事であって,人と同じことをしていたら勝ち残れないのである。学校も同様で最低限の教育はするがそこから先は家庭の仕事になっている。日本のように何から何まで学校が請け負うのではなく,家庭のかかわる余地が残されているところがおもしろい。

 こちらのコーチの手腕は,いかにしてタレントのある選手を連れてくるか,そして彼らをいかにうまくコントロールするかにかかっていると言える。一人一人の選手は自分は他の連中とは違って一番強いんだと思いこんでいる。そんな選手たちを指導するのに,細かいことを,こうしちゃいけないああしちゃいけないという指導の仕方では,うまくいくはずもない。だから,誉めながらそしてゲームでもどんどん攻めさせながら少しずつミスをへらさせる。その中からさらに選ばれた者たちが大学へ行き,さまざまなシステムの中でのプレイを覚え,再びプロで各個人の能力とシステマチックなチームプレイを見事に融合させるのであろう。

 試合後,UCLAのMH選手がいたので,「1対1ばかりで攻めていたが,君の高校時代もそうだったのか?」と尋ねると「僕の高校はパス回しばかりであった」とのこと。かならずしも1対1で攻めさせるチームばかりではないらしい。アメリカは広い。1日ぐらい高校の試合を見ても全てを語れるはずもない。