その後のUCLAチーム状態(1/27/1997月)
午前中,英会話教室へ。午後,今週のオレゴンでのアウェイゲームに同行できるのかどうかを確かめにバスケットボール・オフィスへ向かった。Dさんに尋ねるとちょっと難しいという。ちょうどJさんがDさんのところへ来ていて,オレゴンの試合よりアリゾナの方が良いとのこと。アリゾナの試合を見に行くのか?と尋ねるとその予定だという。やはり地理的にもアリゾナの方が近くて行きやすいのだろう。Dさんにアリゾナへのゲームへ同行できるよう調整をお願いした。
いつものようにポーリー・パビリオンの階段走りをしてからマネージャーのJ君のリバウンド。彼のシュートはボールを受ける前の足幅が広いばかりか,ボールを受けた瞬間もそれが縮まらずに安定している。いったい誰にそれを習ったのか尋ねると,予想通り「マイ・ダッド」という。左膝の縫い傷を見せながら,高校の2年生の時に膝を怪我してプレイヤーを断念したとのこと。1年生の時はアベレージ16点で10アシストだったそうだ。背は僕よりも小さいがきっと大活躍をしていたのだろう。そういう悔しさ一杯ながらバスケットが好きでたまらない連中がマネージャーをしているのである。
3時半から練習の予定であったが,今日はSSコーチが早く来て選手たちに2人組みでのシューティングの指示。そういえば翻訳した本の中にヘッドコーチはアシスタントコーチが選手たちに指導できるようにアシスタントよりも遅れてコートへ入るようにした方がよいというのがあった。この国の慣例であると思うが,UCLAは例の事件以降そこらへんが混乱してしまっているに違いない。選手たちもいったい何が始まったのか?という感じであったが,それでもやり始めると本当に集中してシューティングを行う。このあたりの切り替えの速さと集中力は日本の選手も学ばなければならない。
Sコーチが来るとそのシューティングは中断され,何とこれからビデオを見るという。なんだかちぐはぐな感じがした。
CO選手が見学しているのでどうしたのかを尋ねると風邪とのこと。何となく練習をさめた目で見ているような気がした。練習内容も変わりばえせず,ちょっとマンネリムード。2チームに分けて常に争わせるのは良いが,負けた方をいつも走らせるので,だんだん選手たちも罰がなければ動かなくなってしまうような気がする。この練習の形態もちょっと考えた方がよいかもしれない。先週,JH選手が怒って練習を途中でやめてしまったあたりから選手の側の信号は発せられている。
メディア担当の人が来ていたので,ランキングのことを尋ねてみた。パック10では1位なのにランキングには入っていないこと。いったい誰が投票することになっているのか?を尋ねると土曜日にランダムにピックアップされたコーチとメディアのライターに投票の依頼があり,日曜日に集計されるとのことであった。おそらく大勢の人が登録されており,その中から抽出されるのだろう。なかなかおもしろいシステムであると思うが,メディア担当の人はランキングに左右されることはないというようなことを言っていた。メディアの恐ろしさといいかげんさを知り尽くしている様子が伺えた。