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気軽なつきあい(2/4/1997火)


 午後,娘を迎えに行ってから練習に出かけなければならないのでいつもの時間より遅れ,ポーリー・パビリオンを走ることができなかった。その替わり,フロアーに着いたとたんにKD選手が早く短パンに着替えろと言う。すぐに短パンに履き替えるとディフェンスをしろと言うので彼のディフェンスをしばらくやった。彼とは以前も同じようなことをしたことがあり,僕がほどほどに刺激をしながら徐々に彼の調子をあげてやったので,今日もそれを望んでいたようである。ただ,アシスタント・コーチのSSコーチがその様子をじっと見ていたので,ちょっと気を使ってしまった。僕のように気楽に選手たちと関わるのとは違い,彼の場合はそれが仕事であるから,複雑な心境で僕らの様子を見ていたに違いない。

 練習が始まる前に選手たちが次々とロッカールームから姿を見せるのであるが,何とJH選手がナイキの靴を履いて出てきた。UCLAは大学全体がリーボックというスポーツメーカーと提携していて,バスケットの選手に限らず,リーボックが靴やらユニフォームやらTシャツやらを提供している。個人の時間はどのメーカーの靴をはいてもよいのだが,練習の時はリーボックでなければならないはずである。彼はまたまたチームの反応を試しているに違いない。

 3時30分になると今日もまたビデオを見るのかみんなロッカールームへ入っていった。その間,アドミニストレーターのDさんが来たので,彼に僕の履歴書を持っているかどうか尋ねた。持っていないという。確かビザをとるときに僕の資料を送ったはずだが,おそらくバスケットボール・オフィスには届いていないのだろう。まあ,こちらのオフィスがそんな気の利いたことをするはずもないので,いつか僕の資料をDさんに渡すことにした。何しろスタッフも選手も僕がいったい何者なのかはほとんど知らないようなのである。ただ,何となく日本から来たコーチらしいというだけのことである。最近になって少しずつ僕に興味を持ち始めた選手やスタッフが僕のことを尋ねるので,これは何も伝わっていないなぁと感じていたのであった。