スティーブ・ラビンヘッドコーチ誕生(2/11/1997火)
午前中,妻を英会話教室へ送った後,ラルフスで買い物をしたり,HISでニューヨーク行きとアリゾナ行きの件を相談したり,トリプルAでニューヨーク,シカゴの地図や案内をもらったりした。そしてアリゾナへ行けるのかどうかを確認するために早めにバスケットボール・オフィスへ行くと何やら記者会見が終了した直後であった。Sコーチがスーツ姿で記者の質問に答えていて,CD選手がその様子を眺めていたので彼にどうしたのか?と尋ねると「彼は仕事を得た」との返事。最初,何のことだかよくわからなかったが,バスケットボール・オフィスの様子を見ていて,どうやらSコーチがヘッドコーチとして正式契約したようだと思った。Dさんに尋ねると彼は「4年契約さ」と彼自身もちょっと驚いている様子。Jさんがお祝いに駆けつけてスティーブ・ラビンコーチと話しをしていたので,「おめでとう」と挨拶した。
Dさんにアリゾナ行きを打診するが,どうやらチームと同行するのは無理な様子。そこでチケットだけでも手配してもらうように頼んだ。また,先日お願いしていた遠征のスケジュールをコピーしてもらった。
チケットがとれるかどうかもう少ししたら分かると言うので,練習が始まるまでの間にUCLAの図書館カードを作りに出かけた。UCLAに来て半年も経とうというのにまだ図書館には入ったことがなかったのである。図書館の建物は本当に歴史と伝統を感じさせ,重厚な造りであったが,コンピュータでの検索システムがフル稼働していた。どうやらカードを作らないとこの検索ができないようなのである。あとで分かったことだが,自宅から自分のコンピュータをつかって検索もできるらしい。カードもJ−1ビザ取得のための書類を見せたらすぐに作ってもらえた。こんなに簡単に作ってもらえるならもっと早く来れば良かったとも思った。
練習前にDさんがチケットは明日もらえるとのこと。スケジュールを見ながら意味がよくわからない部分について尋ね,木曜日の練習に間に合うように出かけることにした。
練習開始の時にスティーブ・ラビンコーチが4年契約を結んで正式なヘッドコーチになったことを選手たちに話しているようであった。みんな喜んでいる風であったが,本当に喜んでいるのかどうかはわからない。スティーブ・ラビンコーチにはサマーキャンプの後ろ盾があるので,ある程度よい選手が集まるだろうが,今年に限ってみると若手は育っていない。4年後にどうなるのかが楽しみである。練習後の取材は,例の事件以来のにぎわいを見せていた。
・僕は,あと2週間ちょっとでロサンゼルスマラソン(3月2日)に参加します。しかし,実は3週間ほど前に風邪をひいて以来,ほとんど運動らしい運動をしていません。リクレーション・バスケットも僕がいつもやっていた時間帯は,全部リーグ戦になってしまってピックアップゲームではなくなってしまいました。見慣れた連中はみんなチーム参加をしていて,僕はどこのチームにも入っていないのでゲームができないのです。
彼らは,平日は夕方の5時から11時まで,日曜日は朝9時から夜10時まで,何とポーリー・パビリオン(普段はバスケットボールチーム専用のコート)まで使って連日ゲームをやっています。1月中旬から3月6日まで毎日続き,3月6日に優勝チームが決まるようです。5つのコートをフルに使っているのですから,大変なイベントです。ちゃんと必要な経費は参加料として集めていて,審判と得点係付きでゼッケンも記録もしっかりとつけています。これだけ大がかりなことを何気なくやってしまうのですから,こういうことは見習う必要がありそうです。
ロサンゼルスマラソンは参加料が50ドルでTシャツとバックと完走するとメダルがもらえます。Tシャツとバックは事前にゼッケンや案内と一緒に受け取ることになっています。何しろ9万人が参加するそうなので,当日どうやってスタート地点のダウンタウンへ行こうか思案中です。また,1マイルを12分30秒のペース以上で走らないと交通規制がとかれてしまいます。勝田よりも遅いペースなので何とかこの交通規制がとかれる前にゴールしたいと思っていますが,何しろ最近の運動不足とビールの安さがたたって,太ってしまいましたからちょっと難しいかもしれません。サンディエゴに住んでいる高校時代の友人(マラソン選手)によると当日気温が上がると苦しいかもしれないとのことでした。よく考えてみるとそういう状況でマラソンを走ったことがないので,もしかしたら途中で棄権することになるかもしれません。8時間までは計測してくれるらしいのですが,正直言ってそれ以上遅れてダウンタウンのゴールにたどりついても危険が待っているだけのような気がします。また,夜になってバスに乗ってアパートへ帰るのも危険なので,もしかしたらアパートに一番近づいたあたりでリタイアし,普通のバスでアパートまで帰ってくるかもしれません。まあ,せっかくの記念ですから完走したいと思いますが,こればっかりは何とも言えないですよねぇ。
さて,UCLAのバスケットの方は何度かひどい負け方をしたにも関わらず何となくパック10というカンファレンスで1位をキープしています。その実績を評価してなのか,他に当てがなかったからなのかは分かりませんが,今日なんと例の事件以来臨時ヘッドコーチを努めていた32才のスティーブ・ラビンコーチが正式なヘッドコーチとして4年契約を結びました。素直に喜ぶべきところでしょうが,何となく引っかかるところがあって,どちらかというとこの先どうなるのか楽しみが増えたというとらえ方をしています。
なぜだかわかりませんが,何となくアメリカンドリームというのは,運ではなくてコネの世界なんだなぁという感じを受けました。日本もそうですがこちらはボスに気に入られるかどうかで全てが決まるようです。ですから,この国ではボスが変わるとその下の人も全員いられなくなることが日常らしいのです。
ところがスティーブ・ラビンコーチはなぜか当時の直属のボスが解任された直後にその代役になり,今日,その直属のボスを解任させた人と契約を交わしました。ということは,最初からアスレティック・デパートメントのディレクターとスティーブ・ラビンコーチとの筋書きが出来ていたのではないか?という疑問にかられてしまいます。スティーブ・ラビンコーチは非常に家柄が良い(お父さんがバスケットボールのコーチで実力者)ので,こういう展開になってきたのかなぁなんて考えてしまいます。
なんだかこちらの人の人間関係やつきあい方がよくわからなくなってきてしまいましたが,明後日からアウェイゲームの様子を見にアリゾナへ行ってきます。かねてからチームと同行させてもらえないか打診していましたが,結局無理らしいので,近いアリゾナへ自分でチームの予定に従って動いてみようと計画しました。とりあえず様子さえ分かればよいのでつかず離れず見てみようと思います。
このところ,体調がすぐれないせいもあって,何となく落ち着かない日々が続いています。もう半年にもなろうと言うのに,今日やっと図書館カードを手に入れました。もっとも図書館に足を運ばなかっただけのことですが,これでやっと資料探しができます。おそらく何かをまとめなければいけないなぁという気持ちが,図書館へ足を向けさせたのだと思います。いずれにしても論文なりなんなりを書き上げなければならない運命にあるわけですから,そろそろとりかかろうかと思ったり,いやいやまだまだいろんなことを感じ取ってからだと思ったり,結局,そこらへんのところでいつもすっきりしない状況に陥るわけです。
まあ,論文にならなくてもいろんなことを考えさせられていますから,それだけでも十分勉強になっていると思うのですが,世間の人はそれでは許してくれないですよね。そちらに帰ったら地獄のような生活が待っているようなので,今のうちに少しでも何か形にしておこうと思ったりもするのですが,何となくいろんなことが現在進行形で,今日のように臨時コーチがヘッドコーチになる(TVのニュースでも何度も放映された)などが突然起こると,どうしてもまた最初の解任事件の時を思い出してしまって,頭の中の整理ができなくなってしまうのです。
注)今までSコーチと記してきましたが,4年前の今日,正式なヘッドコーチに就任されたのでお名前を掲載させていただきます。本文中,彼に対する疑惑,あるいは不信感が表現されていますが,当時の状況を考えると私自身が非常に不安定な精神状態でしたので,適切さを欠いている部分もあります。しかし,当時の正直な気持ちですので,削除や変更することなしに,今後も掲載させていただきます。
シーズン終了後,彼にシーズン全体についてインタビューしました。当時,彼も私に対して少し警戒していた感じでしたが,そのインタビューを通して,やっとお互いに分かり合えることができました。彼はその後,毎年UCLAを全米ベスト16に進め,その実績が高く評価され今年度もヘッドコーチとして活躍されています。みなさん,是非,この奮戦記を通して彼が当時どんなに困難な状況に立たされていたのかを感じとって下さい。そして,現在の彼を応援してあげてください。よろしくお願いいたします。