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アリゾナ遠征初日(2/13/1997木)


 朝,早く起きて何と自転車で空港まで行った。最初は長い下りだから良かったが,最後に急な登りがあって大変であった。1時間前にチェックインしないといけないのだが,40分ぐら前に空港についた。チェックインカウンターは長蛇の列なので募金活動をしていた空港職員にチケットを見せると82ターミナルへ行けとのこと。どうやらこのチケットはターミナルのところでチェックインできるらしい。82番は遠かった。出発時刻の10分ぐらい前になって飛行機に乗り込んだ。僕の前の席にはロサンゼルスタイムスのKさんがいた。彼は日系3世とのこと。眠たいと言っていた。

 遅れてくる人がたくさんいて結局飛び立ちは定刻より40分ぐらい遅れた。飛行機は空港から海の方へ向かって飛び出す。眼下にはホウェール・ウォッチングができる海岸が広がっていた。鯨の姿を探すがさすがに見つけることはできなかった。10号沿いに飛んでいるようである。地形を見ながら地図を頭の中に思い浮かべていると,見たことのある風景。パームスプリングスの上空である。本当にこちらの地形は模型を見ているようだ。川が1本流れているとその両側には緑地帯が広がっているが,それ以外はあらあらしい地肌をむき出しにして風や水の影響を受けた爪痕がたくさん残っている。

 グランドキャニオンは見えないものかとずいぶん目を凝らして見ていたが,それらしい地形は見つからなかった。フェニックスのダウンタウンらしきビル郡が見えそこからぐっと南へ下がると雲がかかっていた。その雲の下にタスコンがあった。アリゾナはロサンゼルスと1時間の時差があるので時計の時刻を1時間進めた。


 空港からタクシーでアリゾナ大学へ。17ドルかかった。UCLAの関係者であるということが分かったとたんにタクシーの運転手の態度がかたくなになった。そうだ,ここではUCLAは敵なのである。降りるときに彼は何かを僕に繰り返し言うように言った。僕は意味が分からずそれを繰り返すと彼は喜んでいた。おそらく今日はアリゾナ大学が勝つぞと言うような意味を言わせたのだろう。それで機嫌がよくなっていた。アリゾナ大学のアリーナに着いたがまだUCLAの選手が来ている様子はない。また,どこから入ってよいのか検討がつかなかったので正面で待つことにした。


 11時40分にバスが到着。UCLAの選手たちと一緒にアリーナの中に入った。アリーナはポーリー・パビリオンよりも大勢の人数を収容できるようにコートサイドからすぐに客席になっていた。また,設備もUCLAよりも新しいものがたくさんあった。UCLAのように中央にではなく,コートサイドとエンドラインの上空に得点表示盤があった。また,テレビ画面がコーナーの上空に4ヶ所映し出されるようになっていた。ただ,これはオーバーヘッドプロジェクターであまり画質は良くなさそうである。会場の様子をビデオに納め,練習風景もビデオに納めた。シューティングをして動きの確認をするのだが,スターティングメンバーはボーっと眺めているシーンが多かった。また,ヘッド・マネージャーのP君もぼっとしているので,遠征の時のマネージャーの仕事について尋ねた。するとホテルでは何もすることはないという。まさに,バカンスだとのこと。ホテルのチェックインなどの手続きは誰がするのかを尋ねると,トレーナーのSさんがやるとのこと。マネージャーの仕事は,この練習の準備と試合の時だけだという。それぞれ役割が分担されているのだろう。

 普段練習の時などにはほとんど見かけないアドミニストレーターの人の名前を尋ねた。彼の名はMさん。Dさんのボスかと尋ねたらそうだという。かなり年輩でいつも険しい表情の彼は,モーガンセンターでも2階の中枢にいて,彼がホテルの手配から新人獲得までアスレティックディレクターに近いところで計画を立てているようである。今までDさんがそういう調整をしているのかと思ったが,DさんはMさんの下で実務をしているということが分かった。本当にアスレティック・デパートメントの組織は奥が深い。

 いつもの試合前のように軽くシューティングをした後,動きの確認をしていた。レギュラー陣はぼーっと眺めているシーンが多かったが,彼らなりに動きを把握しているのだろう。


 UCLAの練習が終了してからMコーチに3時頃にホテルへ行くことを伝え,アリゾナ大学のキャンパスを探索することにした。このキャンパスは1ブロック分芝生が広がり,その左右に建物が並んでいた。丁度お昼時ということもあって大勢の学生たちが芝生の上に寝ころんだり座り込んでなにやら話を聞いたりしていた。日差しは強いがちょっと肌寒い。とりあえず腹ごしらえをしようと思うが,それらしいところが見つからない。本屋があったのでそこへ行くと,荷物を全部ロッカーに預けなければならないようになっていた。結構重たい荷物だったのでそこへ預けてしまい,おみやげついでのキャンパスガイドを探すがそういう感じのものはなかった。UCLAと違い観光客相手の品はあまり置いてなかった。何か食べるところはないか学生さんに尋ねると何とその隣にずっと食べ物屋が広がっていた。芝生側の正面のつくりは,他の建物と変わらないので気がつかなかったが,奥へ入るとさまざまなお店が並んでいるのである。ハンバーガーは嫌だったのでタコベルでブリッドを2つ頼んで食べた。

 3時過ぎにUCLAの選手たちがいるホテルへ向かった。地図で見る限りすぐだと思っていたが,本当に大学から目と鼻の先に真新しいマリオットホテルがあった。このホテルはサンディエゴで宿泊したのと同じ作りで,中央部分が空洞になっていて1階にレストランがある。いわゆるこの付近では高級ホテルである。ホテルのフロントの人にUCLAの選手たちが今どこかで勉強しているはずだが,そこへ行きたい旨告げると案内してくれた。中には選手が6人ぐらい何やらやっていた。3時30分までの予定だったが3時までに短縮されたそうだ。今は授業の履修計画か何かを練っているようであった。そこへ行ってBM選手にコーチングエッジのソフトを見せると選手たちが集まってきて,1−4の動きを見ながらイメージを膨らませていた。最後の部分は僕のオリジナルだが,トップからゴール下は難しいからウィングを経由して入れるべきだと話していた。本当に選手たちはこういう時にすぐプレイの内容に入り込んでしまう。すぐにイメージを作れるあたり日本の選手よりよくプレイのことを知っていると思った。

 アカデミックトレーナーがどこからか帰ってきて,僕の姿を見るとけげんそうな顔をしていた。僕は先に彼の許可を取るべきであった。彼に僕の立場を説明し,許可なくこの場所にいることを謝った。彼はそれで少し理解してくれたようである。その後,Mコーチの部屋を学生コーチのK君に尋ねるが知らないとのこと。スティーブ・ラビンコーチはどこか上の方だろうとのことであった。そこでフロントでMコーチの部屋を尋ねるが,どうも僕の発音が悪く「F」で探している様子。丁度UCLAのマネージャーのT君がいたので彼に尋ね,彼が「H」と言うとすべてが解決した。まったく僕と彼の発音のどこが違うというのだろう。部屋へ電話をかけてくれたがあいにく不在であった。

 何もやることがないのでホテルの外へ出てみると筋向かいにアリゾナ歴史社会博物館があった。4時までなので20分ぐらいしか時間がなかったが,中を見学することにした。入場料はない替わりに寄付を求められる。箱には大人は3ドルを目安にしてくれと書いてあったが,20分しかないので1ドルだけ寄付した。本当にこちらの博物館は「please tuouch!」なのである。もちろんさわられると困る物はさわれないようになっているが,とにかく中を探検する感じになっていて,どんどんその世界に引き込まれていくように作ってある。アリゾナの歴史と鉱山の中や採掘現場を再現したようすなど英語の説明が分からなくても十分理解することができた。

 大学の中にも確か博物館があったと思ったのでそこへ向かうと,アリゾナ・ステイト博物館があった。アメリカ南西部インディアンの歴史と生活が展示してある。ここでも「どうぞ,さわってみて下さい」との表示。日本の博物館もこんな風になっているのだろうか?


 時計を見るとちょうど選手たちの食事の時間になろうとしていたので,もう一度ホテルに戻って様子をみることにした。ホテルに入るとロビーにMコーチがいた。彼に3時に一度来て部屋に電話したことを伝えると,床屋に行っていたとのこと。ちょうどその時ホテルの入口から誰かが高校生を連れて入ってきた。彼を見てMコーチは名前を呼んで本人かどうか確かめた様子。僕は高校のコーチをしている人かと思った。後から分かったことだが,彼はアスリート・イン・アクションのメンバー,つまり牧師さんであった。Mコーチは食事の時間を彼に告げていた。

 食事の時間までちょっと時間があったのでMコーチとしばらく話をした。僕の履歴書を見たらしく,調査をするのはよいがお金がかかるだろう?との質問。僕は日本政府がお金を援助してくれている旨を伝え,僕の大学がパブリックスクールであることを伝えた。彼はそれで理解した様子。僕は今回の研修の成果を論文にまとめなければならないことを伝えると,彼は,おまえはたくさん書かなくてはいけないことがある。今シーズンはコーチが解任させられたり,新しい32才のヘッドコーチが4年契約したりと特別なことがたくさんある,とのこと。その通りで,あまりにもいろいろなことがありすぎて僕は混乱しているんだと話すと,「よし,おれが教えてやろう」とバスケットボールの世界ではすぐにクビを切られてしまうという話しを話し始めたが,ちょうどその時,スティーブ・ラビンコーチが来て中断された。彼に食事の様子をビデオに撮りたいと伝えると「いいよ」との返事。これで少し雰囲気を日本のみんなに伝えることができる。

 料理はバイキング形式で鶏肉,ポテトサラダ,コーン,パスタ,野菜サラダなどが用意されていた。スティーブ・ラビンコーチは一人で先に好きな物を取って食べ始めた。何人かの選手たちもどんどん好きなように取って食べ始める。量の多い選手,少ない選手とまちまちであったが,身体の割には控えめに食事している様子。中にはスナックを食べ過ぎておなかがいっぱいだという選手もいた。すべて各自に任されている様子。僕が食事の様子を眺めているとアドミニストレーターのMさんが来て,怪訝そうな顔。彼は僕のことをほとんど知らないのでしかたがないだろう。あまり刺激してはいけないと思い,部屋の外のソファーに腰掛けて様子をうかがうことにした。彼は食事をとらずにしばらく様子をみたらどこかへ行ってしまった。替わりに遅れてCO選手がやってきたので,寝ていたのか?と尋ねると「ビデオ・ゲーム」との答え。テレビゲームとは呼ばないようである。食事の様子を入り口のところからビデオでちょっと撮影した。ソファーで記録を整理していると部屋の中から突然「Together」「We attack!」のハドルの声。びっくりしたが,すぐにスティーブ・ラビンコーチを筆頭に何人かの選手がばらばらに散っていった。SF選手にいつもハドルをするのか?を尋ねると食後はいつもそうだとのこと。なるほどこういうところでもハドルをするのである。ハドルの意味についていつかスティーブ・ラビンコーチや選手たちに尋ねる必要がある。

 夕食後,テーピングが5時30分からあるというのでSさんに撮影許可をもらい,待つことにした。食事の部屋の外のソファーに腰掛けて記録の整理をしていると,部屋の中からJH選手が僕を手招きしている。何事かと思って部屋に入るとそこでは先ほどMコーチを尋ねてきたアスリート・イン・アクションの人が何やら話しをしていた。最初はミーティングか何かかと思ったが,Mコーチが僕の姿を見ると聖書を見せてくれた。アスリート・イン・アクションは以前UCLAで練習試合をしたことがある。スポーツを通してキリスト教の布教活動している団体である。ようするにこれは食後の説法なのだろう。Mコーチもおまえも一緒に聞けという仕草をするので,椅子に座って一緒に話しを聞くことにした。話しの内容は分からなかったが,競技をすることの意味など3つぐらいのトピックについて一緒に考えていこうというものである。そして最後に今日の試合の無事を祈って終了。チームの全員が参加するわけではなく,選手3人,コーチ2人,マネージャー1人,アカデミックトレーナー1人の7人であった。お祈りが終わるとすぐにみんな散っていったが,CD選手とJコーチは最後まで牧師さんと話しをしていた。

 小学校でも,公園のルーキーリーグでも,この遠征でもそうだが,こちらの人は決まった時間に集まって用事が済むとすぐに各々散っていく。このことによって,人が集まるということをすごく気楽にさせていると思う。日本の場合,せっかくみんな集まったのだからという何となく離れがたい雰囲気や本当はすぐにでも帰りたいのだが何となくみんなが残っていると帰るづらかったりという意識が生まれる。このことが,人が集まったり何か催しをすることを重たくさせ,非常に労力を必要とし,その反動として人々が殻を作ってしまうように思う。こちらの人たちは本当に小さいときから一人一人が独立して行動する習慣が身についているので,ぱっと来てぱっと散るのだろう。ある意味では後腐れがなくてさっぱりしているが,見方を変えると人間関係が稀薄になっているとも言える。ただ,物事をスピーディーに押し進めるにはずいぶんと役にたつことだろう。日本の会議は,時間を共有することが重要で,内容は何も決まらないことが多いが,こちらの人たちにとってそういうことは耐え難いことに違いない。日米協議がうまくいかないのもこういう生活習慣の違いから来ているのだろう。


 食事をとった部屋でテーピングをするという話しだったので,しばらく待つが,誰も来ない。SF選手がうろうろしていたのでテーピングはどこでやっているのか?を尋ねると僕を2階の部屋に案内してくれた。ちょうどKJ選手がテーピングをしていて,その次の順番をBM選手が待っていた。彼らはよくSさんと話しをしながらテーピングをしてもらっていたが,次にやってきたTB選手はヘッドホンをしたままほとんど一言も口を開こうとしない。日本だったらなんて失礼な奴だと怒られるところだろうが,これもまた自由なのである。それぞれがそれぞれ自分の仕事を淡々とこなしていく。ただ,マネージャーのT君が来て,TB選手に来シーズンもUCLAでプレイしろよとしきりに声をかけていた。TB選手は3年生だが,今シーズン限りでNBA入りするのではないかと騒がれている選手の一人である。他にJH選手とJM選手もUCLAを卒業しないでNBA入りするのではないかと噂されている。取材ではUCLAでプレイするようなことを行っているが実際はNBA入りする可能性が高いのだろう。ことある毎にそれをとどめさせようとしているが,そういうこともマネージャーの仕事なのだ。

 テーピングは一人両足5分。一人ひとり足の状態によってテーピングの仕方が違う。かなり補強を必要としている選手もいた。一人が終わると次の一人を呼ぶようになっているが,CO選手がなかなかこない。T君が見に行くとシャワーを浴びているという。トレーナーのSさんも着替えるために部屋へ帰るとヘッドマネージャーのA君がバス到着の直前だというのに部屋で寝ていたらしい。T君の笑い声が響いていた。

 普段の遠征の時はヘッドマネージャーが一人同行するだけだが,今回の遠征には次のヘッドマネージャーの研修を兼ねて3年生のT君が来ていた。ちょうど彼のお兄さんがアリゾナで働いていてホテルに様子を見に来ていた。バス到着の時間が近づくと選手たちはロビーでうろうろしている。バスが到着するとすぐにバスに乗り込み始めた。誰も何も指示することなく本当に一人ひとりが自分で判断して自分で行動している。こういうことが日本人にはできないのである。どうしても誰かに指示をされて,しかも揃っていなければ気が済まない。まさしく小さいときからの学校教育のたまものである。


 ホテルからアリーナまでは歩いて5分ぐらいの距離だが,必ずバスでの移動である。日本ならお金がもったいないから歩こうということになりそうだが,ここは敵地である。本当に遠征の時は現地の人となるべく接触することのないように配慮されている。おそらく過去にいろいろな事件があったのだろう。日本ではちょっと考えにくい配慮だが,国際大会などでは当然そうせざるを得ないに違いない。

 僕は,夕食を兼ねてまたブリッドを購入しアリーナへ徒歩で向かった。アリーナにはすでに選手たちがついていた。UAZは赤がチームカラーである。何とほとんどの観客が赤いTシャツやトレーナーを来ている。UCLAよりも観客の入りも早い。なんだかすごい熱気が漂っている。


 僕の席は,サイドライン側の観客席の一番後ろから2列目であった。僕の隣にデイリーブルーインの学生記者が2人来ていた。この付近に何人かUCLAの応援がいるが本当にわずかである。UAZの応援がすごいのでほとんどUCLAの応援は耳にすることができなかった。選手たちがコートに入ってくるとき,選手たちの紹介の時,試合が始まる時,後半のトスアップの時,試合で盛り上がる時,とにかくちょっとでも何かあるとほとんど全ての観客が立ち上がる。前の人が立ち上がるので立ち上がらないと試合が見えないのである。本当に熱狂的な応援であった。

 前半が始まる前にレモンジュースを飲みながらブリッドを食べると何だか疲れが一気に出てきた。昨夜は2時間ぐらいしか寝ていないのである。すぐ前に座っていた男の人2人がちょっとでも何かあるとすぐに立ち上がるので仕方なく立ち上がってみていたがだんだん疲れてきて2人の隙間からちょっとのぞき見したりした。正直なところ試合が始まって5分で,どう転んでもUCLAが勝つと感じた。確かに熱狂的な応援や審判に助けられて競り合っているが,UAZの選手たちがあまりにも勝ちを意識して動きがぎこちない。それにくらべるとUCLAの選手たちの場慣れした雰囲気はUAZの選手に驚異を与えていた。ハーフタイムに少し意識をとりもどし,後半は少し真剣に見ることにした。何だかずいぶんもつれていたが,一度も負けるような気はしなかった。案の定,普通に見ていると奇跡としかいいようがないような逆転でUCLAが勝った。まあ,試合というのは目に見えない部分で勝負がついていて,それに実際の点数が後からついてきているように思えた。

 正式なヘッドコーチとなったスティーブ・ラビンコーチにとって貴重な1勝であるが,おそらく彼は自分の思い通りに動いてくれない選手たちにいらだちを感じているに違いない。僕は今日の試合を見ていてJM選手も来年UCLAに残りたくないと思っていると感じた。もしかすると残るのはスティーブ・ラビンコーチに一番反抗的な態度を見せているJH選手かもしれない。最後の同点のシュートはCO選手,逆転のシュートはJH選手が決めた。勝負強さというのはこういうプレイに反映される。


 試合終了後,選手たちの様子を見ようと控え室に行くが,はやり入れない。テレビやラジオの取材に応じるためにスティーブ・ラビンコーチとCO選手が出てきた。スティーブ・ラビンコーチは相変わらずそっけない様子。CO選手は僕を見ると思わず笑いが止まらないという表情で合図を送ってくれた。ロッカールームでは,簡単なミーティングをした後選手たちが着替えたりシャワーを浴びたりしてからメディアの人たちが取材に入っていく。いつかその様子も撮影したい。あまり待っていてもきりがないようなのでタクシーを呼ぶことにした。

 電話帳でチューソンタクシーというのがあったのでそこへ電話をした。どうも様子が変だが僕はアリーナの前で待っていると行ったが,相手はOKと言っただけ。本当に大丈夫なのかと思いながらしばらく待ったがなかなかこない。やっと来たタクシーは流しのタクシーでこのあたりにはイエロータクシーしかいないという。チューソンタクシーなんて知らないというのである。このタクシーに乗ってしまおうかと思ったが,ちょうどUCLAの選手たちが出てきたので,そのタクシーの電話番号を控えて,もうしばらくしてから電話で呼ぶと伝えそのタクシーには乗らなかった。タクシー会社に電話をした方が確実である。どうやら僕はどこかへ間違い電話をかけ電話口の人がふざけていたようだ。

 UCLAの選手の何人かがバスに乗り込もうとしていたので「グッド・ゲーム」と言った。CD選手やJH選手は喜んでいたが,KJ選手はバスに乗り込んで頭を抱えていた。彼は自分があまり活躍できなかったことに腹を立てている様子であった。「気にすることはないよ」と動作で伝えると,彼はちょっと笑顔を見せた。

 先ほどのタクシー会社へ電話をし,タクシーでホテルへ向かった。タクシーの運転手に明日,時間があればグランドキャニオンへ行こうと思うがどうだろうか?と尋ねると7時間ぐらいで行けるだろう。是非行ったほうが良い。カメラでは撮りきれないぐらい大きいところだ。と教えてくれた。早く起きたら行ってみよう。