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フェニックスへ(2/15/1997土)


 フラッグスタッフは雪が残っていたが,暖房を入れると乾燥して喉が痛くなるので暖房なしで寝た。明け方はかなり冷え込み寒いなぁと思いながら寝続けた。結局,はっきりと目がさめて起き出したのは9時で,それから1時間ほど記録の整理をした。

 10時にフラッグスタッフを出て一路フェニックスへ。路肩の案内盤をよく読んでみると結構この付近には観光ポイントがあるようだ。途中,休憩所に寄ったが何とそこにはペットのための遊び場が用意されていた。ペットも用を足さなければならないのだから当然と言えば当然だが,本当にこの国ではペットは人間とほぼ同様の扱いである。

 フェニックスの近くにファクトリー・アウトレット・モールがあったのでそこで昼食をとろうと思い寄ってみることにした。どうやら出来たばかりのモールらしくまだお店が入っていないところがあった。土曜日ということもあって大勢の人で賑わっていて昼食には時間がかかりそうだったのでやめ,かわりに見つけたナイキのアウトレットショップでTシャツを買い込んだ。お買い得商品である。これらの商品はほとんどが首のところにつけられる商標がちょっと曲がっていたり,ずれていたり,縫い目がすっきりしなかったりという商品である。たったそれだけのことで定価の半額以下で買えるのだから我が家にはもってこいである。


スポーツビジネスの現状


 割とゆっくりと走ったこともあって,フェニックスのアリゾナ・ステイト大学には試合の30分前に着いた。会場に入ろうとすると,デイバッグの中をチェックさせてくれとのこと。最初はなんのことだかよくわからなかったが,瓶やカンを持っていないかどうかをチェックしているらしい。そういえばUCLAでもフォーラムでもカンも瓶も見かけない。全て紙の容器に移して販売している。日本のプロ野球などでもそうだが,要するに観客が興奮して瓶やカンを投げられると困るからだろう。そういえばポリ容器ですら蓋の出来るものは置いていない。おそらくこの国でもカンや瓶を投げつけて人がけがをした事件が過去にあったに違いない。いったいいつ頃から紙容器になったのか調べてみるのもおもしろいかもしれない。

 会場内は試合開始30分前だというのに閑散としていた。これはUCLAのポーリー・パビリオンよりも入りが遅い。先日のアリゾナ大学に比べると雰囲気は大違いであった。それでもおもしろかったのは,子どもの顔に絵の具でペイントする人がいたことである。日本でもJリーグのサポーターがよくペイントしているが,こちらのバスケットボール会場でははじめて見た。結局,試合開始時刻になっても閑散としたままで,UCLAの応援に来ている人の方が一目でそれとわかる服装をしていて目立った。土曜日ということもあって車でここまで来た人が多いのだろう。アリゾナ・ステイトはパック10でも最下位を争っている。チームが弱いと人が集まらないのである。今まで見てきたどの試合もほぼ満席状態であったのでこの状況はスポーツビジネスの難しさを感じさせるものであった。公式記録によるとアリゾナ大学の試合の観客数が14,474人で,アリゾナ・ステイト大学の試合の観客数が4,823人である。日本で5千人を集めようと思うと大変だが,こちらの大きなアリーナに5千人弱は寂しいものがある。同じアリゾナでも1万人も集客力が違うのである。

 日本でもプロスポーツにはお客さんが集まるのだから,おそらくバスケットボールもうまくすれば集客できるに違いない。ただ,生活習慣が基本的に違うのでこちらのようにはいかないだろう。アメリカでは大人が子どものようにスポーツを楽しむ。やることももちろんだが観ることも楽しみの一部になっている。ちょうど演劇や映画を楽しむのと同じである。いや映画や演劇は何度も同じものが見れるが,スポーツの場合はどの試合も完全に1回限りのドラマなのである。それだけにリスクも大きくつまらない試合はつまらないが,タイトルをかけた試合や好カードの試合などは,チケットを手に入れるのが難しい。

 ちなみにここアメリカのチケットで一番高い値がつくのは,野球でもフットボールでもなく何と大学のファイナル4のチケットである。コートサイドの席は5千ドル以上するというから驚きである。日本の企業の接待というと飲み食いがほとんどであるが,こちらの企業の最高の接待はこのファイナル4のチケットらしい。たいていの場合,好カードのコートサイドはこうした接待に使われることが多く,本当にバスケットが観たくて来ている場合が少ない。特にロサンゼルスの場合はその傾向が強く,レイカーズの本拠地であるフォーラムの観客のマナーの悪さは有名とのこと。つまり試合には平気で遅れてくる,まだ試合が終わっていないのに途中で席を立つ,ひどい場合は試合の最中もバーで酒を飲んでいたり話し込んだりしている,などである。それに比べると田舎や地方都市の場合は,町全体が一体となって応援するらしく,シカゴなどはマイケル・ジョーダンが来てからブルズが強くなり,今や町のどこもかしこもシカゴブルズ一色であるとのことだ。

 そういう状況にあってちょっと違った動きが日本からのNBA観戦ツアーである。日本でもNBA人気が高まり,昨年末のNBAの日本開催では東京ドームに4万人が集まった。先日のブルズとレイカーズの一戦もコートサイドの2千ドルの席を日本人が個人で購入したとのことである。こちらの人はその話しを聞くと「クレイジーだ」「日本人は金持ちだ」ということで落ち着いてしまう。しかし,小さな島国にから本当に思いきってなけなしのお金をはたいて見に来ているのである。何となくアメリカという国の華やかさにあこがれ本場でアメリカ人と一緒になってゲームを楽しみたいということの底辺には,日本人の生活習慣の貧しさが反映しているように思えてならない。ものの豊かさに惑わされて人間が本来持っている本能的な楽しみ方がテレビゲームやパチンコにすり替えられているように感じる。スポーツをし,すがすがしい汗を流す。ゲームに感動し,隣の席に座っていた見知らぬ人と手をたたき合いながら応援する。異なったチームの応援をしていてゲームの最中はお互いにけん制しあいながらゲームを楽しみ,ゲームが終わると勝っても負けてもお互いに良いゲームだったと喜び合う。つまり,選手と観客,観客同士がふれあいながら時と場所を共有するという古代から続いている楽しみ方が日本では減ってきている。田舎を捨て大都市に人々が集中し,祭りが消え始めてきたあたりからおかしくなってきたのかもしれない。


vsアリゾナ・ステイト大


 試合は各選手の能力があまりにも違っていて一方的になるかと思われたが,UCLAの選手たちのフラストレーションからかコーチのフラストレーションからかすっきりしないゲーム展開であった。相変わらずタイム・アウトの後の攻撃の重たさが目立つ。ディフェンスも焦点が定まらず甘さが見えた。こういう試合の時がコーチングの見せ所だと思うが,どうもすっきりしない。


帰りの飛行機


 試合終了後,アリゾナ・ステイト大学のスポーツ施設をちょっと見て回り,空港へ向かった。空港はあまりにも大きく,いったいどこへレンタカーを返して良いものか迷ってしまった。おまけに,ガソリンを満タンにするのを忘れ,空港を一度出てガソリンを入れてきたりしたので,飛行機の出発時刻の30分前にチェックインすることになった。ただ,飛行機の到着が遅れていたので特に問題はなかった。国内線の場合は結構ぎりぎりでも大丈夫のようだ。

 空港ではすでにUCLAの選手たちが到着していた。ちょうどSさんがチェックインをしていた。当初の予定では8時15分発の飛行機のはずだったが,僕と同じ6時40分の便に早めているらしい。後でおどろいたことだが,この時Sさんは背の高いJM選手とJH選手の席を飛行機の両ウィングの上にある非常出口のすぐ後ろの席にしていた。つまり,2人とも足を伸ばすことができるようにとの配慮である。本当にきめが細かい。

 選手たちがゲートの前で飛行機の出発を待っていた。退屈そうにしていたのでちょうど良い機会だと思って,シーズンが終わったらいつ家に帰るのか?を尋ねてみた。どうやら選手たちは4月から6月にかけて開催される授業をとるらしくみんな6月までいるという。そこで,調査のためのインタビューをしたいのだが,誰か日本語を話せる友達はいないかとマネージャーと何人かの選手に尋ねた。BM選手が僕のやりたいことをよく理解してくれたらしく誰か探してくれるとのこと。シーズンが終わってからの取材が良いだろうとアドバイスしてくれた。

 また,シーズンオフになったら酒を飲んでも良いらしく,いつかみんなを招待したいということを告げると「すし」「すき焼き」と日本食を連発していた。シーズンオフになったら少し選手たちと話しができそうな感じがしてきた。質問項目を少しずつ練り上げていこう。

 飛行機を待っている間,メディア担当のBさんが僕に近づき「今回の遠征で2つ勝てたのは君のおかげだよ」とささやいてくれた。最初はどういう意味だかよくわからなかったが,いつもの遠征と違ったところは僕がまとわりついていたことぐらいなのだろう。それでもそう言ってもらえるだけでもうれしい限りである。

 飛行機は40分ぐらい遅れた。飛行機の中ではおもしろいことにヘッドコーチのスティーブ・ラビンコーチ一人だけがファーストクラスに座っていた。僕は図らずもSSコーチの隣の席になった。前にはJH選手,後ろにはCO選手である。SSコーチと通路を挟んで反対側にはMコーチがいて,2人は飛行機に乗り込むとすぐにプレイの話しを始めた。Mコーチはいつもバスケットボールコートが描かれたホワイトボードを手放さず,そこにそれぞれのアイディアを描きながら熱心に話していた。学生コーチのC君とCO選手も巻き込んで,飛行機に乗っている間中プレイの話しである。本当に熱心である。

 ロサンゼルス空港について荷物を待っている選手やコーチたちと挨拶をして分かれた。Jコーチと握手をした後,ちょうど隣にいたアドミニストレーターのMさんが手を差し出してきた時にはさすがにびっくりした。彼もやっと僕のことを少し理解してくれたのかもしれない。そういう意味では今回の遠征に着かず離れず神経を使いながらぎりぎりのところでチームに接してきたことは,無駄ではなかったようである。実りの多い遠征であったと思いながら,空港から1時間以上かけて自転車で帰宅した。