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ロサンゼルスマラソン完走!(3/2/1997日)


 朝6時半頃に起床し,お餅を食べた。7時20分に車でフリーウェイを使ってダウンタウンへ向かい駐車場を探した。思っていたより道も空いていたし,駐車場もたくさん空いていた。スタートラインに近そうな駐車場を探し,そこへ3ドル払って駐車した。駐車場では柔軟をしたり着替えたりしている人がいた。しばらく持ち物などを整えてスタートラインへ向かったが鼻紙を忘れたので再び車へ戻った。途中路上に簡易トイレが設置してあったが長蛇の列であった。そこで,車から鼻紙を取った後,駐車場のビルのトイレを探した。入り口の人に尋ねると隣のホテルで用が足せるとのこと。ホテルのロビーへ入るとやはりゼッケンをつけた人が何人もいた。のんびりと用を済ませ,スタートラインへ歩いていると隣の人が何やら話しかけてくる。よく分からないので早すぎて分からないと言うと日本人ですか?と日本語で聞いてくる。彼は白人で日本に1年半住んでいたことがあるそうだ。彼は何とゼッケンもチップも全部忘れてしまったらしい。とにかく記録はどうでもよいから走れればよいと言っていた。僕も走れると良いですね。と話していたら,何とちょうどそこにゼッケンをたくさん持っている人がいた。どうやらゼッケンを売っているようである。本当に何でも商売になってしまう国である。スタート時刻が近づいていたので僕はそのまま先に行くことにした。別れ際に彼は僕の名前を尋ねてくる。ぼくは「加藤です。」と答えたが,彼の名前を尋ねるのを忘れてしまった。こちらの人は,名前を尋ねる習慣がついているのである。だからと言って名前を本当にいつまでも覚えているとは思えないが,エチケットなのだろう。なかなかそういう習慣は身に付かない。やはり,名前を尋ねておけばよかった。

 スタートライン付近は金網で囲まれ,そこへ入るときにゼッケンをチェックしていた。一般の人はスタートラインに近づけないようになっているのである。人混みに近づくとちょうどスタート2分前のコールであった。スタートラインから1ブロック離れたぐらいのところである。後ろにもまだ人がいたのでちょうどよいポジションだろう。何故か,周囲には日本人の団体がいて,初マラソンなのか女性がずいぶん騒いでいた。

 スタートからゴールラインまでは8分30秒ぐらいかかった。もっと遅いかと思っていたが何しろ道路の幅が広いのである。勝田マラソンだと2車線しかないが,ここは7車線である。スタートラインを通り過ぎるとちゃんと走れるぐらいになっていた。

 

・LAマラソン。何とか無事走りきりました。手元の時計で4時間52分(スタートラインまでの時間を入れると5時間1分)です。スローペースでずっと走り続け,途中はポケットに持っていたお餅や配られていたパワーバーやバナナを少しずつ食べ続けました。1マイル毎に水が置いてあるのですが,5マイル過ぎからほとんど毎回水を補給しました。最後の4マイルは死にそうになりながらも,とにかく走りました。日差しが強く予想以上に暑かったので,最後の方は手足がしびれてしまい,水を頭から何度もかけてずぶぬれになりました。ゴールしたらビル風が強く非常に寒い思いをしました。

 とにかく,ここロサンゼルスマラソンでなければ最後は歩いていたと思います。20マイルを過ぎたあたりから極端に足が重たくなり,21マイルに気がつかないほどでした。22マイルになってあと4マイルだと思い,思わず根性シリーズに入りました。ちょうど上り坂でもあったので,下を向いて歯を食いしばって走るという何ともはや市民ランナーらしからぬ形相でした。おかげで,あと3マイルぐらいから手足がしびれてきて地獄のようでした。その付近は歩いている人がたくさんだったので思わず歩こうかと思いましたが,歩いたらゴールできないような気がして走り続けました。最後の1マイルぐらいはそれまで歩いていた人もみんな走り始めるのですが,僕はスピードをあげることもできず,ゴールしました。

 ゴールした後は,すぐにメダルをかけてもらい,足のチップを取り外し,ミネラルウォーターやオレンジジュースなどが飲み放題でした。ちょっと落ち着いたら,何人ものカメラマンがいて,いくつも用意されたお立ち台の上に乗って一人ずつ写真を撮ってくれます。これはよい記念になると思います。その後,階段などでは足がつりそうになりながら,高層ビルの間をとぼとぼ歩いてやっとの思いで駐車場へたどり着き,着替えて少し車の中で休んでから帰宅しました。

 出だしは1マイル10分から11分の間でキープし,17マイル以降は11分30秒から12分30秒ぐらいのペースでした。最後は苦しかったのですが,スローペースだったせいか身体へのダメージはいつもより少ないかもしれません。もっとも,明日の朝になってみないと何とも言えませんが。

 知り合いもいないので,終始孤独なマラソンでしたが,沿道の応援が結構派手で小さな子どもたちと何度も手を叩きながら走りました。コースは最初7車線の道路なので勝田よりも早くスタートラインを越えたような気がします。黒人やメキシカンやコーリアンの人たちがたくさん住んでいる地域を走るので,応援も国際色豊かで結構通り毎に特色があってそれなりに楽しめたように思います。車で走っていると何となく怖い雰囲気でしかなかった地域が,そこに住む人たちの応援で,それぞれみんな必死になって生活しているんだなぁと思えるようになりました。確かに怖い地域にはポリスがたくさん配置されていましが,そこで応援している人たちの笑顔は,もしかしたら他の地域の人たちよりも親しみやすいものだったかもしれません。

 何はともあれ,何ごともなく無事帰って来れたので何よりです。