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念願のスイート16(3/17/1997月)


 午後2時45分頃にポーリーの前でTB選手が女の子と話しをしていた。ちょうど学生コーチのA君もそこへやってきたので,今日の予定を尋ねると3時からミーティングとのこと。フロアーでは何人もの選手たちが着替えずにシューティングをしていた。コーチ陣がなかなかこないのだが,その間,チケットのサインアップをしていた。チケット担当の人も一人ひとりの選手を捕まえてはサインをさせて,大変そうであった。さすがにスイート16に残っただけのことはある。今日のメディアは20人以上いた。とにかくコーチ陣を待って遊んでいる選手たちにも取材をしようとする。テレビカメラは常に彼らの面白いシーンを取ろうと構えられていた。選手たちも大変である。

 午後3時15分頃にロッカールームへ入ってミーティングである。およそ50分ほどであった。フロアーに出てくる選手やコーチたちを捕まえてすぐに取材が始まる。それらを後目にSSコーチとKJ選手の1対1が始まった。僕もすぐ近くへ寄ってその様子を見ていたが,どうやらただの1対1ではなく,KJ選手の自主練習のようであった。SSコーチが最後の方で彼にうまく彼の悪い癖を治した方が良いとアドバイスしていたが,SSコーチは本当に彼らのプライドを傷つけないように配慮しながら,選手たちを納得させていた。彼のこうした努力は,確実に実を結んでいる。当初,選手たちに敬遠されていたが,今では選手たちが彼の意見に耳を傾けるようになっている。

 その後,ウッデン・センターでピックアップゲームをしようと思ったが,かなり込んでいた。次の順番を待っているリーダーにプレイできるか?と尋ねると「知らない」という返事。そこにはちょうど5人がいたので他のメンバーに尋ねると「プレイできるだろう」という。前のゲームがなかなか終わらずずいぶん待った。さて試合かと思ったら,何とそのリーダーは今負けた方のチームの仲間を4人ピックアップして試合をするという。ちょっと頭にきたのでステップマシンをして身体を動かすことにした。

 再びコートを訪れるとちょうどもう1つのコートで試合が終わったところであった。ステップマシンをハードにやりすぎて足が重たくなっていたのでしばらくそこでシューティングに加わっていると,2対2をやろうという。そこで2対2を始めた。1ゲームが終わったところで水を飲んでいると僕の相棒が日本人ですか?とつたない日本語で話しかけてきた。彼は,KY君でお父さんが日本人でお母さんがメキシコ人だそうだ。彼自身はここロサンゼルス生まれのロサンゼルス育ちだとのこと。UCLAの3年生で専攻が日本の歴史であると言う。2ゲーム目も同じメンバーで行い,勝つことができたが,しばらく彼といろんな話しをした。彼は今年の夏も日本へ行くからその時に茨城大学へ来てプレイをしたいという。僕は名刺を渡し,彼の連絡先も教えてもらった。こうしてプレイをしていると少しずつ輪が広がっていく。