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束の間のひととき(3/18/1997火)


 午後,3時からの練習へ行った。JM選手は2回戦の時に胸を肘で激しく叩かれ,今日は見学であった。コートサイドで見ているJM選手に「最初のジャンプシュートが効いた。あれで相手が迷ってしまった。」と話すと彼は,見ていたのか,と言って本当にうれしそうにしていた。やはり,あの1本が彼自身にとってもよほどうれしかったに違いない。

 今日の練習では,CD選手,TB選手,SF選手の3人がリーボックの黒いバスケットシューズをはいていた。UCLAはリーボックと提携しているため,彼らは動く広告塔である。履き慣れた靴ではなく次から次へと新しい靴を履かされるので彼らも大変だ。

 練習の中でドリブルなしでハーフコートのボール・キープの60点ゲームがあるが,今日はミスが目立った。なかなか勝負が決まらない。また,スクリメージではマッチアップのゾーンディフェンスからトラップをしかける練習をしていたが,僕はあまり深追いしない方が良いように思う。確かにここ1本というときの策は必要だが,ほとんど練習をしていないのだから策におぼれる可能性もある。僕はそれよりもブロックアウトを確認した方がよいと思うが,今日の練習ではそれはなかった。

 学生トレーナーの女の子2人もサンアントニオへ行くという。自費だとのこと。Aもサンアントニオへは行かないという。相変わらずUCLAは本当にお金に厳しい。練習後,TB選手が一人でシューティングをしていた。これからバスに乗ってテキサスまで行くのだが,ちょっとの時間でもこうして選手が自分で判断して自分で練習をする。シーズン開幕当初,彼は練習が終了すると誰よりも早くロッカールームへ入っていったが,その当時とはずいぶん変わったと思う。

 僕は,練習が終わって座って休んでいたBM選手,DP選手,JM選手と学生コーチのA君に「僕はインディアナポリスへ行くチケットをすでに持っている。インディアナポリスで待っているよ。」と言うと,彼らもその意味を理解した様子。「OK!」と言っていた。本当にそうなる気がする。

 遠征のためのバスが到着しているので,アスレティック・ディレクターのMさんやメディア担当のBさんなどが次々と大きな荷物を抱えてやってきた。僕はしばらくその様子を観察していた。アドミニストレーターのDさんもやってきたので僕は「ファイナル4の僕のチケットを忘れないでくださいよ。」と昨日に引き続き最後の確認をした。そして来週の月曜日の正午に電話を入れることを約束した。その後,僕の近くを通ったSSコーチとMコーチ,そして最後にスティーブ・ラビンコーチに「インディアナポリスで待っているよ」と言うと彼らもその意味を理解した様子。スティーブ・ラビンコーチは「ありがとう」と言って去っていった。

 その後,ウッデンセンターへ行ってピックアップゲームをやった。最初の3試合はかなり強力なメンバーが揃い,3試合とも勝つことができたが,2・3試合目がハードだったのでみんな3試合目が終わったところで帰ってしまった。ちょうどその時久しぶりにGAさんがやってきたので,僕は帰らずにもう少しプレイすることにした。ちょうと試験期間中ということもあってもう1つのコートで試合をしていたが,待っている人が意外に少なく,女の子2人も入ってやっと5対5が始まった。前の3試合と比べると一人ひとりの能力は落ちるが,本当によいチームワークで4試合目も勝つことができた。次の5試合目は背が低い東洋人ばかりのチームで運動量が急に増えてしまい,かなり疲れてきた。どちらもシュートがなかなか決まらず時間ばかりが過ぎる。最後の方は本当に疲れ切ってしまい,身体が動かなくなってきた。この試合は負け。コートサイドで座り込んでしばらく休んでいた。すると同じチームにいたCT君が僕に話しかけてきた。彼はバスケットを始めて5年しかたっていなかったが,僕と一緒にプレイしていてよほど楽しかったらしい。4才の時に台湾からアメリカへ来たこと,今はUCLAを卒業して働いているが,勉強に来ていること,今のUCLAのチームの話題などを30分ほど話すことができた。僕のプレイスタイルはこういう人たちに好まれるようだ。

 かなり疲れていたが,アパートの地下のトレーニングルームでこれまたちょっとハードにトレーニングをした。なんだか現役の時のような身体の疲れ具合である。