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ホール・オブ・フェイム(3/25/1997火)


 バスケットボール・ホール・オブ・フェイムは川とフリーウェイ95号との間にある。アメリカ国内の様々な建物に比べると比較的小さな建物だが,他の会社などと合同ではなく単独の建物である。中に食べるところがあるかどうかを入り口で尋ねると,「ない」とのこと。2ブロック先にレストランがあるから歩いて行けるというのでちょっと寒かったが,歩くことにした。レストランは奥に広く,喫煙の部屋と禁煙の部屋が入り口から分かれていた。11時過ぎだったので人は1人しかいなかったが,レストランでの家族での食事はアメリカに来て初めての経験である。息子の機嫌が悪く騒ぐので,妻にオーダーを任せて僕が赤ん坊を外へ連れ出した。テーブルに戻ると大きなサラダが3つどんと置かれその他に大きなラザニアとスパゲティミートソースが2つ,さらにハンバーガーが2つ来てしまった。ウェイトレスさんも誰がこんなに食べるのか知らないぞという様子。妻は5人だから5つオーダーしないといけないと思ったという。食べているとたった1人しかいなかった他のお客さんがどんどん増えてきて,いくつもあるテーブルがどんどん埋まっていった。どうやら地元ではかなり人気のレストランのようである。赤ん坊が騒ぐのであまりおちついて食べることができなかったが,ハンバーガーを包んでもらい子供も大人も久しぶりの料理に舌鼓を打つことができた。

 ホール・オブ・フェイムは,3階建てで3階から順番に見るようになっている。J・ネイ・スミスさんがバスケットボールを創設した頃の写真や古いバスケットボールやゴールなどが本当にたくさん陳列されていた。また,古いチームのユニフォームからつい最近の有名選手までとにかく所狭しと飾られている。ゆっくり見始めたら1日あってもたりないので,とにかく全体の雰囲気だけをビデオに納めることにした。2階の奥には光の動きをディフェンスしたり,ジャンプの滞空時間を計るなど,遊びながら有名選手のジャンプ力のすごさを実感できるコーナーがあった。さらに,1階には各種ゴールがいくつも乱立しているエリアがあり,次々と出てくるボールを取ってシュートできるようになっている。子供たちはいつまでもいつまでもシュートしていた。また,その隣には,ビデオカメラで本人を写すと大きな画面の中に出てくる選手と1対1ができるという装置があり,画面の中の選手に勝つと最後にポーズをとった大きな顔が画面に映し出されるという遊び心一杯のコーナーもあった。また,ギフトショップも充実していて,僕は思わずいろいろと買い込んでしまった。結局2時間30分ほどいろいろと見て回り,午後3時過ぎにスプリングフィールドを出発して次の目的地に向かうことにした。90号から91号へ入るとすぐに雑木林が広がる。枯れているので寂しい感じが漂っている。どうして,こんな奥地へ石川源三郎さんは日本からやってきたのだろうか?彼が,ここスプリングフィールドのYMCAで最初にバスケットボールが行われた時のクラスの一員であったということが,なんだか不思議である。当時,どうやってここまで来て,どうやって日本へ帰ったのだろうか?おじいちゃんの軌跡に思いを寄せていただけに,その当時の苦労がどんなものだったのか知りたいところである。