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ファイナル4チケットを正式に購入(3/29/1997土)


 Yさんと一緒にクリニック会場へ行った。ファイナル4が始まる2日前から著名なコーチによる講演がいくつも行われる。技術・戦術に関するものからフィロソフィーに至るまで多種多様である。朝8時20分だというのにすでにたくさんの人が来ていた。Yさんが端の席に座るのでどうして真ん中へ行かないのかを尋ねた。昨日,まんなかの席にすわったところすぐ前の席に大きな人が座って全然前が見えなかったとのこと。Yさんは190cmもある大男である。今まで日本では全く経験したことがない出来事で,Yさんは後ろの人の気持ちがよく分かったと言っていた。これもアメリカのしかもバスケットボールのコーチの集まりだからこその話しだろう。Yさんが「何ごとも経験だよ」と言っていたのが印象的であった。確かに斜めからだと人の頭の隙間からちょうど演者を見ることができる。なるほどと思った。講演の内容は「コート・センス:バスケットボールのゲームにおける知性」というものであった。9時になったので受付の部屋へ向かったがその部屋へいたるホールの部分に人が溢れていた。一番後ろにいる人に「アンクレイムド・チケットの列か?」と尋ねるとその人も「たぶんそうだろう?」という返事。そうこうしているうちに奥の方から人の名前を呼ぶ声がしたが,よく聞き取れない。これでは埒が空かないと思い,とにかく最前列まで苦労して出ていった。そこで様子を見ていると,古い人順に名前を呼んで,その人たちから順番にコートに近い席を割り振っている様子。20年代の人から始まって11年目の僕の名前が呼ばれるのに1時間30分も待った。さすがに効率が悪いと怒っている人もいたが,ハイスクールのコーチがほとんどで僕のような海外からの人はいなかった。おそらく毎年こうしてハイスクールのコーチたちはチケットを手に入れているのだろう。手続き会場で昨日のジムの女性が僕のことを覚えていてくれて「おめでとう」と言ってくれた。おそらく,僕のように日本からアンクレイムドチケットを求めてやってくる人はいないのだろう。しかし,本当に誰のコネも使わずに自分の力で正規のルートで正規の値段でこのファイナル4のチケットを手に入れた日本人は僕が最初だろう。その喜びでなんだか大満足であった。

 クリニック会場へ戻ろうとしたらYさんとエスカレーターですれ違い,あわてて戻って合流した。とにかくチケットをどうしたらよいか思案し,とりあえずPトラベルのMさんに相談しようと電話をするが,あいにく休みであった。Mさんのところへ連絡を入れてもらうように頼み,Mさんにチケットを切り離しても良いのか?果たして売れるものなのかどうかを確かめてもらうようにした。Yさんとエキスポ会場へ行きパソコンソフトや書籍を見ることができた。一大ビジネスである。再びMさん宅へ電話を入れると街角のダフ屋にチケットを売るのは危険であるとのこと。アメリカではダフ屋は違法だが,チケット屋さんは合法なのである。新聞広告に出ているチケット屋さんへ電話をして事務所へ行き,そこで値段の交渉をするのがよいとのアドバイスであった。そこで新聞を購入し広告を探すが2つしか見つからない。1つは現在使われていないとのことで,もう一つはいくらかけても通じなかった。あたりにはチケットを求める人が渦巻いている。よっぽど誰かに売ってしまおうかとも思ったが,せっかくちゃんとNABCから手に入れた大切なチケットなのでNABCを裏切るぐらいなら自分で持っていた方がよいと思い,シカゴへ持って帰った。

 

ブルズ試合観戦(3/29/1997土)


 ブルズの試合へ向かったが,本当に風が強く寒かった。4枚続きの席を購入し,Mさんが僕用にメディアパスを用意してくれた。妻と子どもたちを車に残し,最初にMさんと会場内へ入った。一般の人が見られない裏方の部分を見ることができた。記者控え室にはたくさんのメディアの人がすでに来ていた。彼女は本当に生き生きと仕事に臨んでいた。外では多くの観客が会場入りを前にたくさん並んでいた。ロスでは試合が始まってからぞろぞろとやってきて試合が終了する前にぞろぞろと帰って行くが,ここシカゴのファンは試合の1時間以上前からこの寒さの中で並んで待っている。やはり,街全体がブルズ一色という感じである。妻と子どもたちを迎えに行き,マイケル・ジョーダンが一時引退したときに作られたという銅像の前で記念撮影をして会場入りした。僕はメディア・パスなので再びメディアの入り口から入り直した。すでに会場内はたくさんの人で溢れていた。行き交う人の中で一目で日本人と分かる人たちと何回もすれ違った。かなり日本からツアーで試合を見に来ているようだ。大きなお店に入ろうとするが,長蛇の列。そこで,小さな出店でおみやげを買って3階に上がり,簡単な食事をとることにした。僕は何だか疲れ果ててしまい,子どもたちと一緒に床に座り込んでホットドッグを食べた。

 ブルズとネッツの試合は,サイドライン側の記者席のすぐ手前で見ることが出来た。25ドルの席だが,Pトラベルから200ドルで購入した。シーズンチケットなので誰かに尋ねられたら買ったのではなくギフトだと言うようにとのこと。今までのどのアリーナよりも階段が急で上の方から見る感じであった。確かにコートサイドのような迫力はなかったが,プレイもよく見えるし,なによりもブルズのホームコートの雰囲気を満喫するには十分であった。マイケル・ジョーダンが今シーズン限りで引退するのではないか?と噂されているだけに,この試合を生で見たことの価値は高い。

 ピッペンの3ポイントシュートが目立った試合だった。第4クォーターになってブルズは突然それまでとはうって変わってディフェンスが激しくなった。ジョーダンもこのときとばかり活躍する。長いシーズンなので力の配分を考えているのだろう。ちょっとジョーダンの太股の後ろ,お尻の付け根あたりが気になった。年のせいもあるだろうが,ちょっとそのあたりが弱っているのかも知れない。

 試合が終わった後,セクション122という席で選手や関係者を待つことができるパスをMさんが用意しておいてくれた。そこで,試合終了後その1階席で様子をみることができた。明日,アイスホッケーの試合があるらしく,試合終了と同時にバスケットボールコートからアイスホッケーのアイスリンクへの変身の作業が始まった。バスケットボールコートのすぐ脇にある観客席が後ろへ折り畳まれていく。また,座席ごとフォークリフトで運ばれていく部分もあった。バスケットボールコートは畳の半分ぐらいの大きさの板に分割され,これもフォークリフトで運ばれていく。アイスリンクはその下に眠っているのである。一晩で凍らせることはさすがに出来ないらしく,氷の上にシートがかけられその上にバスケットボールのコートが作られるのである。ニューヨークの会場で,その説明をしていたようだが,何か寒くならないような工夫があるようなことを言っていたのを思い出した。Mさんの話しでは,係員がいなくなった時にロッカールームから帰路につく選手にサインを求めることができるという話しであったが,今日はアイスリンクへ変更する作業がすぐに始まってしまい,下に降りることはできなかった。Mさんが取材をしている間,セクション122に座って待っていたが,そこへやってきたネッツの選手に子どもたちはサインをもらうことができた。よい思い出になるだろう。いつまで待ってもMさんがやってこないので僕たちだけになってしまった。係員もいなくなり,作業も一段落したので下に降りていった。するとちょうどMさんと出会った。

 帰りの車の中でMさんにジョーダンのお尻の下が気になったという話しをすると,確かに今シーズンは昨年ほどトレーニングをしていないとのこと。トレーナーの人に今度尋ねてみるとのことであった。