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アメリカの大学入試(4/25/1997金)


 10時から昼食もとらずに午後1時30分までMさんと打ち合わせ。僕の質問の意図やその背景を理解してもらった。また,アメリカの大学入試のシステムや日本との文化の違いを理解することができて,大変有意義であった。

 特に,アメリカの大学ではASTの得点で合格する人数が60%,あとの40%がASTはそこそこで「エッセイ」で判断されるとのこと。特に大学にとって有益な人物を合格させるという話しはなるほどと思った。また,日本では全て得点に換算するので公平なようだが,結局人間をみるのだからそれで全て図れないのでは?という話しも面白かった。アメリカでは,トータルとして人物を選ぶので「運」だという。そういう部分が残っているというのが,なかなか面白い。

 「エッセイ」では,まさに「あなたは誰ですか?」が問われるという。ボランティアなどをした経験を書くところは別にあるので,それらの経験を通して自分は何を学び、自分はあなたの大学にとっても良い影響を及ぼすことができますよ、ということをアピールするものであるとのこと。日本ではそういう文章を書いても,結局採点しなければならないので,その内容ではなく文章力や漢字テストのようになってしまっている。なかなかおもしろい。

 Mさんが特に日本人が誤解していると思う部分は,アメリカ人が仕事をしないと思っている点だという。そうではなくてアメリカ人もハードに仕事をしていて,それ以外の時間を家族と過ごしているのだという。日本の場合は,仕事以外の楽しみ方自体が失われていて,仕事以外の時間も仕事のつきあいでゴルフをしたりするケースが多い。

 

身体コミュニケーション


 コーチのノウハウを一般の人に伝え,少しずつ日本の悪い習慣が変化していけたらよい。と願っている。「たまごっち」に代表されるように現在の日本では,特に身体コミュニケーションの欠落から人間が本来持っていなければならない部分が欠落してしまっている。日本人は身体を使ってコミュニケーションを図るのが苦手だが,しかし,実はそれを欲している。性情報の氾濫や特殊な宗教活動が若者の間で浸透するのも,実はそうしたことの裏返しである。スポーツの場面では,身体を使ったコミュニケーションがとても重要になっている。コーチたちはそうしたノウハウを十分に蓄積しているが,一般の場面ではそれらが受け入れられない。みんな,日本のどこかがおかしいと感じているけれども,では具体的にどうしたらよいのかがわからない。その意味では「ハドル」というのは,小さい時からの「ギブ・ミー・ファイブ」の延長で,非常に重要な意味をもっている。小さなことかもしれないが,「ギブ・ミー・ファイブ」と「グッド・トライ」が現在の日本の社会に必要なのではないだろうか?

 

日本のスポーツ改革


 日本は行政の影響力が強い。したがって,行政を動かすことができれば隅々までシステムが浸透する。しかし,行政に携わっている人たちはスポーツとは縁遠い人たちばかりで,スポーツに関わるシステムを変えていこうという人は少ない。そういう人たちにきちんと理解してもらうためには,結局,「勝たせる」だけではダメで,それにプラス理論武装が必要である。また,一方,バスケットボールの世界にいる人たちに働きかけようとする場合は,強くなければならない。つまり,強く,なおかつ行政に働きかけられるようにしなければならないのである。

 そういう仕事ができれば,最高だが,なかなか難しいことかもしれない。しかし,まず,自分のチームでそういうシステムを作り上げて実績を作っていけば,何とかなるような気がする。

 

 夕方からウッデンセンターでピックアップゲーム。バロン・デービス選手がプレイしていた。


注)「ギム・ミー・ファイブ」というのは、手のひらをさしだして軽く手を合わせましょう!という意味。握手を求めるよりも堅苦しくなく、他者に対して何らかの意図(賞賛、好意、仲直りしよう、友達になろう)を示す。

「グッド・トライ」は、結果に対してではなく、その試みに対して賞賛する言葉。日本では、うまくいったら「よし、いいぞ」と賞賛するが、結果がうまくいかない場合は「頑張れ!」と言ってしまう。この「頑張れ!」は非常に曖昧で、良くも悪くも解釈することができる。また、何に対して頑張れ!と言っているのかいつも不明確である。うまいかなかった結果に対して、何をどうすればよいのかをアドバイスしているわけではない。通訳者泣かせの日本語で、英語では直訳することができない。

★日本人はよく「頑張れよ」とはっぱをかけるが, 英米人はむしろ Take it easy. 「気楽にやれよ」と励ますという(研究社新和英中辞典より)