選手・スタッフとの最後の別れ(5/20/1997火)
その後,歩いてサンタモニカ通りまで出て,初めてバスに乗ることにした。どこのバス停に待っていたらよいのかわからず,1ブロック先のバス停に人が居たのでそこへ向かって歩いていた。するとちょうどUCLA行きのバスがやってきてそれにたくさんの人が乗り込んでいた。僕たちはちょっと間に合わなかったので次のバスを待つことにした。バスは大人が50セント,子供が25セントである。サンタモニカ通りからウェストウッド通りを経てUCLAへ向かったが,何と正面ではなくて東側のバスステーションまで言ってしまった。ちょうど12時をすぎてしまったのでどこのオフィスも昼食時である。A君と1時に待ち合わせていたのでゆっくりと構内を歩きながら,アッカーマンの方へ行くと,インドの踊りを広場で披露していた。その様子をしばらく見ながら時間をつぶし,僕はもう一度ウッデンセンターを見に行くと,ちょうどH君にばったりであった。子供たちがアッカーマンの前に居ることを伝え,明日の朝の確認をした。
ウッデンセンターでは一番奥のコートでMHコーチがファカルティの人たちと一緒にプレイをしていた。僕はその様子を少しビデオに納めた。よく見ると心理学をやっているというFさんもプレイをしていた。彼にもお別れを言った。
子供たちをトイレに連れていき,熊の前でA君を待っていると,A君がちょっと足を引きづりながら現れた。彼はどこかで勉強していた模様。子供たちがアッカーマンの2階で待っていることを伝え,一緒にピザを食べることにした。彼は一度勉強道具をとりに3階へ出かけた。A君にピザをごちそうしようとするが,A君は「プリーズ,プリーズ」といってそれを断った。日本の学生に比べるとそういうところははっきりしている。学生と言えども彼は自分の立場を十分にわきまえている。
A君といろいろな話をした。何と来年SH選手はスカラシップを失うだろうとのこと。そしてプレイヤー全員がスカラシッププレイヤーになるのではないかという。A君は9月には卒業する予定らしく,もう来シーズンはチームと一緒にはならない模様。卒業後はどうするのかを訪ねると,僕にもわからないという。日本のように次の進路がいつも決まっていないと不安な学生とはちょっと様子がちがっていた。
A君と別れ,バスケットボールオフィスへ挨拶へ向かっていたら、ちょうどモーガンセンターからKJ選手が出てきた。何しろ息子が一番好きな選手である。最後の日にばったりと出会えたことはとても偶然とは思えなかった。息子は目の前にいるKJ選手の大きさにびっくりした様子であったが,僕が息子が一番好きなのは君なんだ、というとしっかりと握手をしてくれた。KJ選手は「僕は明日いなくなる」と言ったら本当に残念そうに何度も握手をしたり抱き合ったりした。本当に純粋で表裏のない良い青年である。彼には本当に来シーズンチームをしっかりとまとめていって欲しいと思った。ちょどSSコーチがやってきたので彼と一緒に,KJ選手との出会いに少々興奮気味の子供たちを連れてバスケットボールオフィスへ挨拶へ行った。スティーブコーチは休暇でいなかったが,その他のスタッフには全員挨拶することができた。とくにJSコーチは,僕の最後のインタビューが非常に良かったと何度も言ってくれて,必ずこれから先もコンタクトをとってくれと言ってくれた。また,いつでも来れば大歓迎だとみんなが言ってくれた。社交辞令だとしても,当初のバスケットボールオフィスとの関わりやコーチ・ハリック氏の解任事件などの経緯からすると考えられないことである。本当によかった。
トレーナーのS氏とYコーチにも挨拶しようとポーリーパビリオン側の裏口から出ると何とちょうどそこに,M選手とR選手がやってきた。これもまた偶然とは思えなかったが,明日いなくなると言うと彼も握手をして別れを惜しんでくれた。とにかく家族のみんなはさきほどのKJ選手よりもまた格段に背が高いM選手を間近に見て,びっくりしていた。子供たちははしゃぎっぱなしである。これは写真を撮っておこうとカメラを取り出すと近くを歩いていた学生さんがみんな一緒に撮影してくれた。その後,トレーニングルームへ行くとYコーチはフットボール場だという。また,トレーナー室へ行くとS氏はテニスコートにいるとのこと。フットボール場を覗くとアメリカンフットボールの選手たちが汗だくになって走っていて,Yコーチは一番奥の方にいたので,先にS氏を探すことにした。ところがどこへいったらよいのかよくわからない。コートを見るとコート整備に余念がないTさんがいたので,挨拶をした。彼も明日出発だと言うと何度も握手をしながら別れを惜しんでくれた。彼はこの前と同じように「俺はいつまでもここで働いているからいつでも戻ってこい」と言ってくれた。彼にS氏はどこにいるのかを尋ね奥の方へ見に行ったがどこを探しても見つからない。しかたがないのでYコーチのところへ挨拶をしに行った。まだ,トレーニングが続いているところでしばらくその様子を端から家族と一緒に見て,トレーニングのメニューが変わるところで挨拶状だけを渡しに行った。仕事中なのに申し訳ないことをしたが,彼は嫌な顔をせず握手をして別れを惜しんでくれた。もう一度S氏がトレーナー室に戻っていないか確かめに行ったがやはりいない。しかたがないので挨拶状を部屋の人に預けた。S氏には直接あって話ができなかったし,Tシャツに記念サインをもらうこともできなかった。残念である。そろそろ子供たちも歩き疲れてきたのでUCLAの無料バスで帰宅した。本当は,UCLAエクステンションのFさんにも挨拶する予定だったが,今朝電話で挨拶ができたのでそれはやめることにした。